危険信号受信中。

「恋慕と同情」というやつは、「友情と恋慕」と並ぶひとつの境界事例。
どう読み違え、どちらに吸収し、どう距離をとるかは創作者読解者の永遠の課題。
同情だと判断し決めつけてしまえば仮に違っていても不作為犯のままでいられる。


そういえばそんなことを悩んだ時代が私にもあったんだなあと思い出しつつ、それでも不作為犯を選んだ当時の私。三次元人やめてもうすぐ一回り。