ボーダーレス

 学園祭で構内を練り歩いていた、ジェンダー関連企画のプラカードに書かれた「ボーダーレス」の文字。
 私から見れば失笑を禁じ得ないのがジェンダー関連活動サイドが主張する「ボーダーレス」なるもの。私のように体力もなく腕力で優位を持たない男性が個性として趣味にできた活動は、どちらかというと女性が(ジェンダーバイアスの結果)専売特許として独占している傾向にあり、そこに参入する男性を「気持ち悪い」として排除してきた、つまり障壁を築いてきたのは女性に他ならないのだから。
 それでいて、障壁をそのままに男性側の領域だけを開放せよと要求する。砲艦外交不平等条約そのものではないかと感じてしまう。
 私が趣味とする読書の一角を占める少女小説もまた、そういった障壁を持つ領域のひとつ。覚え書きカテゴリとして書いているけど実際のところまとまってません。


 たとえば、『マリア様がみてる』ブームにより当該作品に男性読者が流れ込んだ現象でさえ、反発を強めた女性読者はかなりの数で存在する。これまで、元々男子禁制に近い形で要塞化していた少女小説という分野が、版元も含めて男性読者に媚び始めたことが彼女たちには我慢ならない。
 「想像の世界はきれいだけど、現実は生々しくて嫌」(『マリア様がみてる』P.210)。
 『マリみて』ブームで流れ込んだ男性読者には、これまで彼女たちが持ってきた少女小説的価値観は全く通用しない。そればかりか、彼女たちの持っている「男性像」をぶちこわす存在に他ならない。彼女らにとって忌避すべき世界「異性=欲望」(つまりはエロ同人)の延長線上で、自分たちの世界に踏み込んできた集団。男性という性質故に受け入れてはならない異分子。
 彼女たちの拒否感は、それ以前から潜在的に存在した男性読者にとっても複雑なモノとして堆積している。少女小説には少女小説なりの暗黙の了解があるし、いくらボーダーレスといっても謙虚さ無くして他の領域に踏み込むことは論外だと。しかしそれでいて、彼らは彼女らからみれば、新規男性と同じく敵でしかない。
 また、外敵を排除しようとすると同時に、自分たちの抱える少女的アイデンティティや男性像を強固にしようとしているのが、「王子様」の復権ボーイズラブの隆盛ではないかと思われる。といってもこのあたりは私とて男性であるが故に断言などできないのだが、とくに前者について、一昔前の相手役男性キャラのような性格付けの男性キャラが増えてきたような気がするのである。とぼけてて立場も低く主人公の少女に圧倒されながらも締めるところだけ締める少し性格の悪い男性キャラ、ではなく、往年の榎木洋子作品のような「完全無欠の王子様」とでもいおうか、美形で最強で包容力大、という男性キャラの復権。もちろん女性キャラの立場も時代に応じて強くなっているが、関係性ではなく造形の問題として、「王子様」は甦りつつあるように感じられるのである。


 一方で、興味深いのが中村幌『クラウディア』。少女小説というよりはむしろ「泣かせゲー」に近い描写と構造を持つと私の感じたこの一作は、本館のヲタサイトでは「非BL作家への先行投資」というスタイルを取って推しているものの、少女小説として、女性読者には必ずしも受けるとは思えない作品である。エロゲヲタサイト風に言うなれば、「ツンデレ、おとなしいその双子妹、戦闘系、お姉さん、幼女、それでいて主人公は足が不自由で幼女恐怖症」の「どこが血迷って作った狙いまくりの新作だよそれ」というところなのだ。
 客車内でのクラウディア、山でのクラウディア、山を下りたのは二日後、と男性読者を意識したとしか思えない描写や、クラウディアの動機付け、主人公の感情の動きなど、ギャルゲー特有の脈絡のない振幅さえ感じられる作品が、ロマン大賞佳作という地位に立ったことの意味は、少女小説という領域においては実のところ大きいのではないかと考えている。


 追記:私は昨年4月、本館サイトを、男性読者の流入が現行コバルトの「一般少女レーベルにあるまじきボーイズラブ偏向と過激描写に対する抵抗」となればということを夢想しつつも開設した(今じゃすっかりヲタサイト&バトルギア3サイト)。流入量を増加させたいと、イラストを押し出してPUSHしたこともある。しかし現状同人では『マリみて』18禁二次創作があふれ返り、サイト管理者として、『龍と魔法使い』『楽園の魔女たち』以来の男性読者として、後悔と、非常に複雑な感情を抱いている。そういう意味では流入マリみて止まりなのは救いなのかも。