理解は遅かったけれど届いています

 MLで届いたイベント告知に、お世話になった先輩の名前を見た。
 マルクス主義者、暴力革命主義者を自称する彼の言動には、法律屋として、非マッチョの「もやし」として、またひとりの「いじめられっこ」として絶対に相容れない部分、どうしても納得出来ないことも多かった。


 その彼が「教育に関わるんだ」と長文のメールをくれた後研究室を去ってから3年。彼がweb上で行っている連載は、あの頃の彼と変わらず、非常に読みやすい。同様に教免を持っている私にこれだけの授業ができるだろうか、と問えばNOと即答出来るだろう。実習で私のやった授業で効果的だったのは「ノートの取り方」ただひとつだったのだから。


 彼が私の修士論文原稿、そして私を批判していたときの言葉を、今の私が自分の論文で似たような言葉を用いている。「ああ、なんだ、もろに影響されてるじゃないか」と思う部分と、敵意の焦点が違うだけで方向性は似通っていたんだなと思う部分がある。
 おそらく今も彼とはいろいろと相容れないだろうが、私にとって異大な先輩(敬意と悪意と敵意と謝意とによって歪曲された表現である)であることには変わりはない。


 あの時のアドレスはまだ生きているだろうか。