特に日常意識することのない「制度」で縛られる方が、「内面」を縛られるよりマシ。

 ……というのが、俺の「国籍」「戸籍」に対する考え方の根底にある。
 国家というものが国民の生命身体財産を守ることを最低限の命題とする以上、その運営に携わる者を新規加入させるためにはその「最低限の命題」に賛同するかどうかを何らかの形で担保させねば、国家は最低限の責任すら果たせないことになってしまう。
 日本はこれを国籍はもちろん戸籍のつながり(日系人等)、血統(ハーフ等)によって担保するという方策をとっている。これは移民関係の研究者がゼミなんかでしばしばネガティブ咆哮に話題にする。しかしアメリカやフランスであれば「脱帽して胸に手を当てて国旗と国歌に忠誠を誓う」ことによってこの担保を取るのであり、「制度による縛りを緩和するということはなにによって国家の最低限の命題に背かないことを担保するのか」という問いは当然出てくるわけで、俺みたいな人間からすれば宣誓という「内面」に踏み込まれるような担保の取られ方よりは制度による形式的な縛りの方がよほどマシなのである。リアル踏み絵するよりは檀那寺の帳面に名前乗せておきます、てなわけ。俺を排他主義者みたいな目で見てる人もいるが、俺の本性はむしろコノザマ。別に反体制ってわけでもないがね。


 で、なによりも戸籍を解体するということは、これまで制度が様々な形で「推定」させ「みな」させてきたものをすべて個人がやらなければならないということでもある。それは相続順位や親子関係などにも及ぶので証明書類を大量に発行することとなり、DNA鑑定の需要はいやが上にも高まり、手続きの簡略化やらといった「無駄を省く」という話にまともに逆行する。
 それは同時に新たな証明役場や書類発行手続きなどによる天下りの温床や、各種の詐欺罪文書偽造罪同行使罪の温床ともなる。


 ……っておいおい、結局その辺の犯罪防止やら手続き簡略化やらのために行き着くのは生体情報入りの住基カードパワーアップ版のような気がしてならないぞ俺はw。戸籍制度破壊してビッグブラザーやりたいんならそれでもいいが、だとすると総背番号制反対だとかの今までの主張に矛盾するぜ?w