「凌辱系エロゲ排除」と「女人禁制の山」
「法規制をするなら根拠を出せ」というのが俺の立場であることに変わりはないが、この騒ぎ、流通サイドが落ち着いたらソフ倫の血縁規制の如くgdgdになるんじゃないかと俺は考えている。いまのところ割と楽観的。したがって、民主党の円より子だの自民党の山谷えり子だの、エロゲ板に突如大量の工作員が湧いて出て連呼してる名前にもあまり興味はない。
「国際犯罪、マフィア犯罪が当たり前で『ガンスリンガー・ガール』のトリエラやヘンリエッタ、『ブラックラグーン』のヘンゼルとグレーテルがシャレにならない国々の国民感情を、比較的・相対的にそれらが「遠い」国へ矛先を向ける」。今回のエロゲ自主規制騒動は、最終的に何をもって「社会通念上制約すべき表現」として受容されるかという非常に文化的・宗教的な話に行き着くように思われる。
たとえば、上記のような犯罪が日常茶飯事でシャレになってない国々では、そういったコンテンツは憲法上でも保護されないような認識を持たれる。利益衡量の天秤が大きく「被害者」ではなく「社会的秩序」という方向に規制に傾く社会状態にもとからなっているし、抗議側もその認識でいる。
これは一歩引けば宗教・倫理ジョーク、あるいは反宗教的社会運動の扱いに近い。その極端な例が『悪魔の詩』や『ダヴィンチ・コード』を巡る宗教的騒動だろう。コンテンツ輸出を主張する議員が一定の規制を口にするのは、結局のところ禁書扱いなどを避け、市場を狭めないための話であって営業戦術にすぎない。
だからといって日本でそんな騒動は無いかというとそうでもない。
たとえば、「平等の観点から、土着の信仰と慣習をあえて無視して女人禁制の山に踏み入った、女性を含む集団」というのがいた。しかもこの事例ではよりにもよってその年に当該地域周辺が豪雨と土砂崩れに襲われ、数ヶ月孤立するという事態になってしまった。
となれば、日本のような天災による人的被害が日常茶飯事な国にとって、「山の禁」を犯すことを正当化するようなコンテンツやその発信者には「けしからん!!」と抗議がどっさり行くことになる。もちろん過激化すると「法規制しろ!」「地域の信仰を尊重できない犯罪者予備軍は取り締まれ!」という話になる。*1
つまるところ「当該表現が(行動を誘発し)性犯罪を増加させる」というフェミニズム的あるいは刑事政策風主張と、「当該表現が(行動を誘発し)天災を招く」という宗教的主張との間には大きな差異は無く、感情論のベースが異なるに過ぎない。ゆえに本質は宗教論であり、本来「法規制をするならば」必要であるはずの「明確性の原則」や「合理的な根拠」なるものは規制推進者の意識の外にある(俺が法律屋の端くれとして一番気に入らないのはそこ)。いずれにせよ感情論と個々の領域で異なる「社会通念」なるものでどつき合いしている限りgdgdにしかなりようがない。ゆえに「流通が嵐を凌ぐための自主規制」以上に発展するという見通しは俺は立てていない。
もっとも、あまり考えたくはないのだが、日本が「トリエラやヘンリエッタが日常茶飯事な国」になった場合、おそらく「だから性犯罪が増えたじゃないか」という議論にはならず、そのころには凌辱ものは「社会通念上不謹慎な胸糞悪いモノ」になっているであろう*2。少なくとも今のところ「トリエラやヘンリエッタが日常茶飯事な国」ではないという一種の楽観論を前提にした「現実と架空の峻別」がなければロリ凌辱モノは生き残れないと思われる。
冷静に見ればamazonが販売中止の対応をしたことは、結局のところ「自分達の落ち度もある状態でクレーマーに対して屈服した」というだけのことにすぎず、各ショップが横並びにそれを真似たのがむしろ問題を大きくした面がある。いずれにせよメーカーは流通にキンタマ握られてるようなもんなのでクレーマー対策が必須になってる*3ようだが、はたしてそれもどのくらい長持ちするやら。