「幕僚長ミサイル」の着弾は半年後。

 サヨクは田母神幕僚長の人間爆弾の着弾地点を見誤ってはいけない。むしろ、サヨクは真にリベラルを貫こうとするにせよ特定アジアの犬であり続けようとするにせよ、どちらの場合でも危機感を持たなければならない。


 彼の問題点は、商業的論文を過激な内容で発表したことでも、彼の思想でもない。公務員の政治活動および副業禁止、職務専念義務規定に関するものであり、きわめて手続き的な問題である。
 だが、サヨクはうっかりこの釣り糸に引っかかり、「幕僚長の更迭は当然である」とバッシングを展開することの危険性に気付かねばならない。


 なぜなら、「公務員が国家の俸給をもらっていながら職務の規定に服せず、また国家の方針に違背したことで、幕僚長が更迭された」という事実は、サヨク自身にも降りかかる論理だからである。「国家の俸給をもらっていながら、職務の規定にも服せず、国家の方針に違背する」公務員が山ほどいるのがサヨクであり日教組だからである。紅の傭兵の談話を踏襲しておくという外交戦術を批判するのと、国旗国歌法という法律に反抗するのとは、「公務員の職務規定」において同列である。ただ、幕僚長という立場でそれをやったがゆえにマスゴミの食い付きやすい問題となり、即刻更迭となったに過ぎない。「国家の方針に違背する者は幕僚長であっても即時処分する」という前例の前には、「職務怠慢のサヨク教師を処分する」ことなどなんら問題にならない事案として扱われることになるだろう。
 逆に保守派が田母神幕僚長を擁護することは、政治活動に邁進し教育者であり公務員であることさえ忘れた日教組のカスどもを容認することになる。


 田母神幕僚長更迭に対して調子に乗ったが最後、来る3月4月に吹き荒れる可能性のある大量処分に際して、自らの処分辞令にサインしたも同然であるということと、この先ガンを切り取るためには臓器の一部を犠牲にすることに躊躇うことがない国家が誕生しつつあることの危険性を見失ってしまうことを、サヨクは自覚せよ。言うまでもないことだが日教組のカスどもと同じところに落ちかけているウヨクも同様である。


 まあ論文の出来自体がイマイチだという話も聞きますがね。


 高裁の件は「証拠不十分」「疑わしきは被告人の利益に」レベルの話であって、今後の学術的研究を阻害するには至らないし、そもそも裁判は真実性を確定させるものではない。法律上の効果は学術レベルには波及しない。
 むしろ大江側のダメージとして「真実性が揺らいでいる」と判決理由に書かれてしまったことがある。
 ま、俺は基本法律屋なので「最高裁が事後差し止めの要件を確定させる」ことの方に興味があるね。