一応俺は

 教育基本法改正には反対の立場だってことは前にも書いている。
 まあ要するに「強制したら必ずその反発がある」という、イデオロギーではなく生徒の意識レベルの話なんだがな。今の若者における「反動的」状況は、太平洋戦争とか全体主義とは無関係の、ぱっとみ反・日教組系ではあってもむしろ「七日間戦争」延長線上のものだって認識なので、逆の強制をすれば当然逆の反発が発生するさ、と。『ぼくら』シリーズや『理姫』、『爆風カーニバル』がその手がかりとなるだろう、と。
 たしかに、これまでの状況に致命的なヒビを入れたのはオウムと震災であって、ネットと携帯電話がマスコミフィルターを踏み砕いてしまった。そのフィルターも地域格差動画共有サイトがますます破壊してしまった。これを踏まえて、教師という「(生徒にとっての)フィルター」も一旦再構成すべきだ、という意見もありえる。しかし、俺はむしろその再構成は生徒が仕掛けるべきだと考えている。早い話が腐った教師は生徒の手で打倒されるべきであるし、その一方でDQNのやりたい放題にならない程度に教師を強敵にしておかなければならない。その指標となるのは教育の質であって方向性であってはならないし、裁判官再任拒否と同じ問題を持ち込むべきではない。
 とはいえ、自分たちが「打倒されることを宿命づけられた存在」だという自覚も持たずに政治運動するようなのは論外だ。ましてや自分たちやイデオロギー的に迎合する集団の人権にだけ目を向けて目の前の生徒の人権やいじめを放置するようなやつはやめてしまえ。



 ……とまあいろいろ思うことはあるんだけどさ。実際教免3本+司書教諭持ってる俺の正直なところを言えば、更新制は手続き料だけでもバカにならんのでちょーっと勘弁してもらいたいw。