どうにもならない今日だけど
とりあえず生きてます。
http://d.hatena.ne.jp/Kadzuki/20060529#p1
「目の前の三次元相手に妄想なんかしねえよw」(作品世界の主人公にとって作品世界のヒロインは「三次元」じゃないのか?)
これをなんとなく思い出した。たしか書いたのは『はちゅかの』の発売前だったかな。
理由は、中毒性の高いOPで一部で有名な『ふぃぎゅ@メイト』。
黄緑、ジェノは作品世界においては「三次元」、つまりナマモノであり、ハセガワもまた「三次元」ナマモノの造型によるものである。一方でカナイは等身大フィギュアであるからして造型はアニメ顔の「二次元」に由来する。イフリナも同様。メディアの上ではそれらはすべて「二次元の造型」に集約される*1から目立たないだけ。
終盤、イフリナもカナイも本来の身体を取り戻す(もちろんイフリナルートの最終フィギュアについても、同じ素体から作られた改造フィギュアであってもその造型はそれまでのものとは歴然とした違いが発生するはずである)わけだが、当たり前のことだがその身体はそれまでの身体とは似ても似つかないナマモノなのである。両者の造型のルールは根本的に異なるものであるはずなのだ。 ところが主人公は簡単にこれを受容してしまう。
そこで私は、人工物にのめり込んだ人間がそう簡単にナマモノに戻れるかという点に対してどうも懐疑的になってしまうのである*2。
これは『エースコンバット』や『マクロス』の架空機体にのめり込んだ人間が、実在のMQ-1プレデターやB-2スピリットの味気なさに愕然とするのと似たような現象であるともいえる*3。
しかしこのような場合に、二次元とナマモノの落差ほど深刻なものを感じないのは、私が自分が考えている以上にナマモノがダメだということなのかもしれない。例によってオチがない。