半分の月を食べるオタ

 4月6日についてのエントリです。長いので後半省略で。
 18切符消費と参宮線走破ついでに伊勢市をぶらついてきた。鉄キチ的にはディーゼル分を満喫して、2006夏の18きっぷポスター場所も見て、関西本線の「柘植〜亀山」も埋めたことになるがそいつはまた別の話。参宮線乗りに行くからにはなんらかの「鉄キチ以外の目的」が欲しくなったので、一度は途中で投げたもののいまさら読み返している『半分の月がのぼる空』の舞台も回ってこようというのが、伊勢神宮参りと並ぶ副次的な目的である。


 開幕から寝過ごし、始発を逃したため9時半前に伊勢市駅到着。まずは外宮へ行って道中の無事を祈願する。続いて、内宮行きのバスが捕まらなかったので、当初の「内宮>五十鈴川>宇治山田>虎尾山」という予定を破棄、先に虎尾山へ向かった。市役所の前を通り、近鉄の高架を抜ける前に右折、すのこ橋から登山口へ。
 虎尾山は山というよりは小高い丘であり、登山口というよりはちょっとした山寺の参道のような……というか関西人的には「御室八十八ヶ所」のような入り口である。もちろんあれほど長くはない。

 橋の前にはファンが立てたと思われる「砲台山へようこそ!」の看板とホワイトボードの入山記録。標高約50メートルとはいえ単独行である以上、滑落遭難が100%ないとはいえないため、HNと入山時間を書いて上がった。登山道は整備されていて、地元の方々やファンの清掃の恩恵を感じながらあがる。中間に何があるというわけでもなく、山上には日露戦争に関する、碑文の文字が打ち込んであったと思われる穴がぽつぽつ開いた石碑があるだけで、鬱蒼と茂った林で市街は見えない。下山時刻をホワイトボードに残し、川沿いに南下。庁舎前バス停から内宮へ。


 内宮参詣後、おかげ横丁から五十鈴川沿いの桜を見物しながら五十鈴川駅へ徒歩、近鉄伊勢市駅へ戻ったあと、参宮線鳥羽行き発車時刻までの間に「しんみち商店街」へ。以前伊勢市に来た時はまだあった三交デパート跡を左に見ながら一通り通り抜ける。洋品店の比率が非常に高く、(私のあいまいな記憶にある)岐阜駅前の商店街のような印象を受けた。駅側の数十メートルが閉店街となっていたわりには中間より西が元気に見えた。古川書店跡も見てきたが、何よりも驚いたのは『逆境ナイン』映画版で使用されたというライオン像であった。

 小腹が空いたので駅側の端近い「はじめ屋」でぱんじゅうを二つ買ってみる(1個50円)……某ケーキ屋に「今月のケーキ」をほぼ毎月食べに行く甘党の私をして一瞬「うわぁ……」と驚かせる甘さ。仙○郎の最中も甘いが、これはその遙か斜め上、もはや餡という甘さを超越している。外見は半球状の、小振りの回転焼きなのだが、味をひとことでいうならば「ペースト状の黒糖羊羹」がしっくりくる。ひとりで10個入りイッキとかは勘弁願いたいが、少しずつなら定期的に食べたくなる味だった(あくまでも主観)。


 続いて鳥羽までの走破と、「2006年夏の18切符ポスターの場所を見に行く」という目的を達成。ポスター左側の海はシーズンオフには水が抜いてあるらしく、なかなかに無惨な状況であった。鳥羽駅から往復でかなり歩いたが、非常に残念。

 伊勢市に戻ってきて、再び徒歩。まんぷく食堂で夕食をとる。プチからあげ丼+伊勢うどんの新福定食。どこがプチなんだ軽く一人前近くあるぞ……と驚きながらも、胡椒のきいたからあげ卵とじ丼は予想外にいけた。作者のサインも見て、観光マップを頂いてきた。


 「せっかくだから未購入の3巻を隣の本屋で買ってレシートと一緒に写真撮ってネタにするか」*1と良からぬことを企んだ私は、まんぷく食堂を出たあと、隣の三宅書店へ。会計の際、先にレジを済ませていた地元のおばちゃんに「これってあそこのことが書いてある本よね? 虎尾山の。読んだことないけど」と言われた。おばちゃんはそのまま去っていったが、地元での認知度はそこそこ高いらしい。

 ……そんなことをしていたら、伊勢市駅赤福の出店が6時で閉まっていた。駅の土産物屋がそんな時間に閉まるのは完全に予想外であったが、伊勢参り後夕食をとってから帰路につくという日程を組むのはあまり無いのかもしれない。あわてて宇治山田駅へ徒歩。こちらは名店街が閉まっていたものの出店は開いていた(「たぶんここが最後まで開いてますね〜」と店員さん談)。それにしても時刻表の特急比率の高さは思わず苦笑するほど凄まじい。もっともこれは北陸方面のJRでもおなじみの光景ではある。

 その後帰宅。久しぶりに膝が笑うような旅行であった。
 余談であるが、後日『半月〜』片手に浜松エアーパークへ向かう車内で「夏目と裕一が浜松へ向かっている」(@5巻)ことを知り、「おいおいなんか憑いてるんじゃないか」と思ったのはまた別の話。

*1:4/6現在。4/12の時点では全冊揃っている……。