川原泉騒動

メモ。読んでおかないとなあ…。

http://d.hatena.ne.jp/./shinichiroinaba/20060824


しかし省みれば、川原泉の作品には一貫して、このような酷薄さ、身勝手さが潜在していたように思われる。たとえば『笑う大天使』における司城史緒の兄。彼は結婚相手たるべき女性たちに、「自分より妹を優先してくれること」を望む。しかも彼はそのことを明言しない。言わなくても相手がそうと察してくれることを望むのだ。これは決して「美談」として処理してよいものではない。しかし川原世界ではそうなってしまうのだ。
その酷薄さは少なくとも川原の全盛期においては、その魅力と裏表のものであったのかもしれない。しかし今はその酷薄さこそが前面に出ているように思われる。

 なぜか?

 絵柄がなんかシャープになったことであの冷めた顔(点目・三角口w)の愛嬌が減少したことではないかなと思いつつ。

 求めることを明示していないのにそれを叶えられないと切り捨てる、なんてのは恋愛についてすべからく言えることだと思った私もたいがい病んでるな……。