戦中派二次元日記?

モダンのクールダウン (片隅の啓蒙)

モダンのクールダウン (片隅の啓蒙)

職場で借りてきた。これから読む。


まず目を通したのが萌え周辺ってのは我ながらどうかと思うが。
動員だのコミットだの、このご時世つがうことを強制する社会よりも逆に敵兵と鉛玉の方がカオカネ問わず敵一名*1として平等に扱ってくれるんじゃねえのかとか、届きさえすればカオもカネも関係なく爆薬一発分の破壊はもたらせるぞ*2とか、最近自殺者多いしなあとか、ハートマン軍曹曰く平等に価値が無く銃後から見ればイコールコンディションで「兵隊さん」*3だぜとか、あまりにもブラックなこと思いつくのもどうかと思うぞ俺。
まあそんな俺でも護憲派なんでよろしく。



以下読みながら思いついたことと、それに伴うチラシ裏。


まあそういうブラックなこと思いつくのも「恋愛=戦争」の公式をしつこく主張しているような人間だからなんだが。
そういう発想なので、二次元人はその経緯と構造を見れば戦後反戦左翼とかなり似通っているんじゃないかと俺は思っていたりする。
現実で傷ついて二次元へ来た、つまり「悲惨な戦場=泥沼の資本主義恋愛」にコミットして*4、あるいはさせられて*5、直接経験によって大岡昇平世界っぽく病んで帰ってきて癒されてるのが戦中派二次元人・前線組。
現実に泥沼の戦線にコミットすることもなかったが友人関係や親族関係で巻き込まれ、間接経験から傷つきドロップアウトしたのが戦中派二次元人・銃後組。
教育や情報のせいで泥沼の戦線なんかまっぴらお断りだぜイエー!とコミットせずに最初から二次元にいるのが戦後派二次元人運動家。
どっちも幻想のお花畑や平和に傾倒するように幻想のマヨイガや女性に傾倒する。何が違うかと言えばまずなによりも表向き本人だけで治まるところ。幻想の平和に傾倒して工作活動すると本人だけじゃ済まないしなw。目が覚める深度は……どっちも無理だな、底なしだからw。
あとここに加えて戦前派とも言うべきバブル以前の倫理コードに属する純愛主義者、最高位クラスの魔法使いもいるかもしれないがそれはまあさておく。



で、ここからは完全に余談というか俺の妄想。
かように、反戦と反三次元恋愛を近しいものとして考えると、当然そこには反戦での世代区分同様にこぼれ落ちる層が出てきてしまう。戦後でも戦中でもない、戦中にアイデンティティを持つこともできず戦後の教育によって洗脳されてもいない世代。
すなわち、コミットするつもりだったができなかった世代、現実にコミットするより先に二次元に出逢ってしまった幸運な世代がいる、ということを記しておかなければならないと私は思うのだ。つまりは思春期以前にCS版や移植版に触れてしまった世代のことを。
昨年度のマンガ学会大会での分科会のひとつは、戦争漫画等ミリタリカルチャーの成熟・複雑化の推進力として「コミットし損ねた世代」を挙げたが、二次元にいながら三次元的な恋愛の泥臭さを取り込んできたのも実のところこの世代と対応するんじゃないのかなと思う。ヒロインの負の感情を抹殺することもできない、しかし三次元的打算的な行動には抵抗を持ってしまう、感覚のせめぎ合いと、ヒロイン感情の細分化・緻密化によって引き起こされる属性の多様化という時系列的帰結。残酷で正義なんて無いことを理性では理解しつつも感情はやむを得ないことだと受容する。2nd以後のメモリーズオフとかそんな感じじゃないかと、漠然と思った。ただそれだけ。


ちなみに俺はコミットし損ねかけたところに銃後組事例。48年に露助が虐殺しにきやがったみたいなもんだな。はっは。

*1:○一個△一個というのもありw

*2:アホ抜かせki-115じゃねえんだから機体と装備と訓練費用の方が高いわw

*3:『マンガ研究』vol.8 P.146参照……同様の構造を持つのが読参各種。

*4:志願兵の場合。

*5:赤紙の場合。