へんきょうななしょなりずむ

● W杯報道と戦時報道.
http://crocro.com/00000119.html#20060705014821

モノーキーさんより。
なるほどなあと思う。


月鎌おなじみの「戦争=恋愛」視角。
そこから見ると、左派勢力によって「戦時体制と一緒くたにされやすいスポーツのマスゴミ熱狂」と「電通的恋愛キャンペーン」もやはり近いところにあると考えるべき*1だろうな。表と裏があるのも一緒だし。「へんきょうなせいあいげんりしゅぎ」というやつか。
WC2002の香山リカいわくの「ぷちなしょ」というやつも、セカチュウだのサイカノだのの「純愛ブーム」と同じってこと。おお、さすがエロゲの攻略本に出てきた学者だけあって見事に符合するぜ、というわけでもないが。
結局動員なんてのは国家や体制に限らずなんにだってできるもんだ。自由も平等も反戦も人権も愛もすべからく動員*2。大塚一派への違和感はそこにある。フィクションはすべからくファンタジーである以上動員性を非難するならばまずすべてのフィクションを攻撃しなくてはならないはずなのに、それをしない、やはりそれが作り手である大塚の限界だと俺は思う。
先日書いた「反戦サヨクと二次元人は構造において同じである」というのもそういうこと。動員対象が「誰にとって都合がいいか」で攻撃対象になるかならないかが違うだけ。


ネタに走るなら、朝日や毎日の社説やデムパな声欄をそのままいじり倒して二次元マンセーコピペだってできてしまう。どっちにとっても気持ち悪い、コンバチブルに使えるカウンタープロパガンダコピペのできあがり。産経×朝日の往復文通社説をいじり倒せばヒロインの誘惑と兄貴に掘られて首輪付き奴隷になってる少年の抵抗…………うおぇっぷ。

*1:稲葉教授は『モダンのクールダウン』で、恋愛体制への動員を拒否するという形で『萌える男』を解し、その言説を「危険水域に達する」としながらも、評価した。つまり、体制という点において国家も戦争も恋愛資本主義も同じだということを示唆したのである。

*2:同じく『モダンのクールダウン』では「テーマパーク化」という単語が使われたが、「本当にテーマパークを舞台にディズニーとキング牧師安田講堂で見事な泣かせ動員をやっちまった作品」は10年も前に存在する。