無理にまとめることを放棄してみる。
自分の内側での際限なき脱線を把握するのに疲れたのでメモ書き程度に。
男性主導/女性主導、上。
http://blog.livedoor.jp/april_29/archives/50405011.html「萌え」られる女の絶望について
http://bmp69.net/mt/archives/2006/04/post_362.html
露骨に描写させることにより女性の内面・他者性を奪い取るとかの一連の流れ。
噛みつくつもりはないけど、連想したことだけメモ。
●「言葉なんて要らない」*1のははたしてどちらの言い分か。「愛していることを言葉にして欲しい」という女性側の決まり切ったフレーズと、乙女系と呼ばれる現象との関連。
●理解し合えるはずのニュータイプでありながらも言葉と叫びの激突によって進行する、「言葉にすることをカタルシスとして要求する」ガンダム的文化の系譜と存在*2。
●責めの延長としての「エロ実況生ライヴ」。
●DOSエロゲ初期、レッドゾーン等の女性一人称作品群との関係。
(ここから下は女性にはお勧めしません。)
おまけ:
★「悪夢」の、ノベライズ版との比較は有益か?
悪夢―青い果実の散花 (パラダイムノベルス1) (Paradigm novels)
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基本的には紳一の一人称。一巻においては礼菜、柚流は彼女たちの一人称によって進行し、莉菜・ひかりについては直人の一人称、エピローグは礼菜を中心としながらも内面を描かない三人称。二巻では基本が紳一の一人称であるが、プロローグとエピローグは愛の、彩乃の章は(カメラマンを仰せつかった)直人の、せりかと文*3の章はそれぞれの一人称である。
ヒロイン一人称の章は、柚流では交渉という本編の要素を必須とするため最後まで描かれるが、礼菜、せりか、文では最後まで描かれない。なお、文の章において紳一は発作を起こし、文によって内面と情況の推量を受ける。紫音による木戸の素性の喝破に伴うものを表面的なものとして排除すれば、直人の紳一に対する意識*4と、この文の内心だけが紳一の内側へと踏み込もうとするものである。また、礼菜にはスキャンダルとなる男の写真*5、彩乃にはビデオカメラと直人、という小道具が追加されているし、ひなのぬいぐるみは一巻で一回目のあとに引き裂かれるが刺殺エンドではない。
なお、ノベライズ作家が誰のシナリオ担当だったかは把握していないし、私はDOS版しかやっていない(しかもかなり前)ので事実誤認が存在する可能性ははまったく否定できない。
ノベライズ版にしても、(当時のパラダイムの傾向、早い話がKanonより前の性質*6からいえば)使用目的は原典とさほど変わらないはずなのに、この差異はどこから現れたのか。で、ぶっちゃけ標準的な層に対する主力ヒロイン(柚流、礼菜、文)が軒並み一人称だったことは読者にとってどうだったのか、と。
とりあえず俺は不満でした、( ゜∀ ゜)アヒャ!