強襲、阻止限界点
読んだ後ちょこちょこ。古典的SF論のガノタ風解釈かな。
なんとなく思うのは、ライトノベルという宇宙空間からどかどかコロニー落としをかけてる最近の傾向を考えると、わずか一片でも地表に大穴を開けないと苦しいのかなということ。「自然主義」や「現実世界(そしてそこで語られる綺麗事)」に魂を惹かれた一般人の地表に強引に突き立て、地上をなぎ払うことができるものを今のライトノベル出版側が求めているのなら、地表めがけて放り出すコロニーは頑丈にしなけりゃならない(で、『RPGマガジングレイト』第二号の「シン・マツナガ物語」*1ではないが、「多くのザクはこの作業の最中に失われました」となる……)。
古い一般人を守りたい迎撃隊は、必死になって落下中のコロニーをオタ論だのデータベース論だのでバラしにくるし、今やその装備はボール並の貧弱なもの*2も含めて迎撃側にもあるわけで、それこそちょっとやそっとじゃ解体・撃滅できない、それこそ迎撃側が自爆――あるいはバラそうとすると自分たちも巻き込む事態を引き起こすような――しないと壊せないようなものを内包しないといけない。そういう意味では一般人地表にもラノベ宇宙にも普遍的な存在であるところの「人間の内面」なんかに相当する「岩の固まり」、たとえばアクシズを引っ張り出してくるのは理にかなったことかもしれない*3。
結局のところ、昔からSF論が言ってきた「元型」や「石斧」はつまりこういうことなんだろう。けれど、彼らの発想はまだアクシズ(核パルスエンジン付き)落としで留まっているように思う。あるいは「新伝綺」のような、降下したアドラステア艦隊の爆走と局地的なバイク乗りの楽園くらいの規模は想定しているかもしれない。でもリーブラみたいな完全人工物での大破壊はやっぱり浪漫だし、期待したいと思う私。