臓物をブチ撒けろ!

タイトルは「撒きますか 撒きませんか」とちょっと迷ったw。

メモ

東浩紀ライトノベルブームと『ファウスト』の行方
http://it.nikkei.co.jp/trend/column/opinion.aspx?i=20051024gc000gc
グラディウスのえらい人、さざなみ壊変さんより)

先日の対談本に対する反撃か同調か……。
しかしなあ……「理論的裏付け<ヲタク的経験則」な状態で論文書いてる俺が言えたことじゃないけど、「諸悪の根元が何を言うか(笑」という印象が拭えないんだ俺には。

僕たちにいま必要なのは、よくできたライトノベルやよくできたミステリではなく、まんが・アニメ的リアリズムを用いてしか描けない現実を極限まで追求し、その反照として僕たち自身の歪さに切り込んでくる、そのような過剰さに満ちた作品だ。『動物化するポストモダン』の言葉で言えば、僕たちが「動物」であることを引き受けつつ、しかしそのなかで人間であるために策略をめぐらす作品。僕たちがなぜキャラクターに感情移入するのか、その欲望の異形さを照らし出してくれる作品。萌えやライトノベルがもてはやされているいまだからこそ、萌えやライトノベルとは何なのか、時代に背を向けてじっくりと考えなくてはならない。

うなずけないではないところもあるんだけどな…最近の新人で地雷踏みまくってると分かる部分も結構ある。でもなんか違うんだ。


ジュブナイルからライトノベルにかけて、「歪みを描写すること」は昔からやってこられたこと*1だと思う。
「アニメ的リアリズム」とゲーム的世界、キャラクター性で押し出す方向で展開したラノベ固有レーベルの中で90年代半ばから発生した等身大の内面重視への移行と「アニメ的リアリズム」の取り込みは現実に成功し、感情誘導・動員装置の一環*2として、危ういが正確なバランスの中で良作を生み出し続けている*3ライトノベルが当初の「ゲーム的ファンタジー世界紹介本」から「小説」として成熟してきたなと扱われるのはそんな流れがあったからだと思う。


ところが、東浩紀はそれを袋小路の奥でやれと言っているようにさえ見える。抉る刃を内輪に向けることそれ自体はともかく、そこに特化しようとしているようにさえ。
もちろんそれは分析上必要なものかもしれない、というより何らかの形で明らかにし、そしてそれを外側に認めさせない限り(まあ無理だろうがな)何もかも表層的な議論のまま終わってしまうだろう。ただ、それと小説というジャンルが果たすべきこととはまったく別物だと私は思う。「動物」解剖はその外側に対して訴えるものを持つだろうか? 外側と「動物」に共有する普遍物はあるか? 共有できるタームはどれだけある?
「動物」独特の「うそぶく」ことを、娯楽として外側が普遍的に受け取る理由はない。ましてや、その結果できてしまったものの多数が、メタから記号を転がし、内省もなく冷笑するに過ぎないものでは意味がないのではないか*4

「〜俺たち知性でお手玉してるんだぜ。だけどゼウスはこういう輩をやっつけてくれます。ドカーン!」*5

すべてがそれだけに止まるシロモノにしかならないとは私も思いたくない。「塔のてっぺんでひたすらに雷鳴を待ち続ける新たなシェリー」*6まで打ち砕く必要はないだろう。ただ、小説として、文学としての作用を「反照として僕たち自身の歪さに切り込んでくる、そのような過剰さに満ちた作品」なるものに期待するのであれば、その返す刀で(世代限定であっても)普遍的な問題をもバッサリぶった切るところまでいかない限り、それはただの内輪のメタ議論、ゲットーを瓦礫の山に変える「石斧」どころか拳にもなりはしないのではないかと危惧してしまう。
「動物」解剖はもういいんだよ。左翼系ラノベ書きがやる国家解剖も飽きたし、どうせやるなら人間解剖しようぜ人間解剖をよ! 昔懐かしいB級ホラー真っ青のバラバラ祭りといこうじゃねえか電波的猟奇的徹底的快楽的嗜虐的狂信的によ!


……ま、感情的には、それを指摘するのは一握りの学者の仕事でも一握りの文壇とやらの仕事でもないと思うんだがな。
結局書きっぱなしだが俺が思うのはそんなとこ。
以上、総括すると「メタネタの賞味期限は短い」(マテ。

まー記号的キャラと融合している限り、ラノベキャラはBJのピノコのような「アーティフィシャルな身体と生身の臓物(と感情)」を持つ、リアリティを部分的に欠く存在だってことは確かだが、それでもバラせば血は出るんだぜ?解剖学実習やるのに何か不足でも?

*1:少なくとも初期作品は、少年少女の内包する「自律的な歪み」を置き去りにしてはいなかった。伝奇要素から憑依だの洗脳だの他律的な方向に走るのは80年代末くらいか。

*2:「なぜ感情移入するか」ではなく「なぜ感情移入『できる』のか」と考えるべきだと俺は思う。

*3:私が院生として目を付けているのはそのあたりだ。ちなみに信者そのものの物言いだが、高橋『灼眼のシャナ』は一見きわめて記号的な配置をしていながらも、それぞれの内面・動機は記号であることを許さないほどに詰められている。………一部ファンに存在を無視されているメガネマンのことはさておきw。

*4:誰のこととは言わないがな!w

*5:ル=グウィン『夜の言葉』より。

*6:同じく『夜の言葉』より。