電波男と「腐女子」・その2
「面白いけど結局負け犬と同じこと言ってるね。」 「この人結局セレブ入りでしょ?」
今日聞いてきた非オタ女性の意見。
そういうわけで、引き続き「女性オタク」と二次元妄想について考えてみよう。
本田氏は女性オタクについてまったく触れないまま「アナログ」と一括りにしてしまった。「女性オタクも当事者として二次元で妄想する」時代に出た本でありながら、そこを見落としてしまって言うのはかなり痛い。
しかし、なぜ本田氏はあっさりとそれを切り捨ててしまった、見なかったのかという問題は、実のところ女性の二次元文化勃興期からの一貫したイデオロギーが関係しているのではないかと私は思っている。先述した「一途な少女」イデオロギーである。
女性の二次元文化が少女マンガを基本点においていることは『遙かなる時空の中で (1) 花とゆめCOMICS』『金色のコルダ (1) (花とゆめCOMICS (2598))』あたりから考えても疑いようがないのだが、それらゲーム*1における主人公もまた、少女漫画的文化の支配下にあり、そのハッピーエンドへの行動条件もまた底流にある「自己への投資」「努力」といった恋愛資本主義に近いもの、フラグに関係したアイテム類も化粧品やアクセサリー、という感じになっている。どちらかといえばプリンセスメーカーやときメモのようなシミュレーション系のゲームが多いのも考慮に入れなければならないが、概ね間違いではないだろう。故に、主人公と同化する女性プレイヤーに関しても、「アナログ」と同一視することはさほど外れた帰結ではない。男性の二次元文化と女性の二次元文化の違いは主人公の姿勢にも現れており、同化する主人公の性質がそれぞれのオタのイメージにも影響を与えているのではないか。
かたやイデオロギー的な下地として財産的身体的努力をすることを宿命づけられ、それを受け入れるユーザーに支えられた二次元女性主人公。かたや下地のない、努力の通用しないことを知ったユーザーに支えられた男性二次元主人公*2。
二次元に妄想する女性オタは、当事者として同化する主人公の行動規範がアナログ的であるが故に、本田氏の中では「電波女」になり得なかったのではないか、というのが私の考えだ。もっとも、そこにおいて「アナログ的」だとされる女性はオタの中でもごく少数に過ぎない。代表的二次元萌え産業である「ゲーム」に浸透した女性を基準に「アナログ的である」と判断したのであれば、それはあまりに早計ではないか。『楽園の魔女たち 〜ミストルテインの矢〜 (楽園の魔女たちシリーズ) (コバルト文庫)』に登場するような「自分を主人公に順列総当たり」妄想層を考慮に入れないと言うのは、著作を無難にまとめるための選択かもしれないが、どこか見落としてはいけないことではなかったか、と思う。
そしてもう一つ。
一途な少女イデオロギーによる努力という恋愛資本主義的行動をとる女性二次元主人公を「アナログ的」と評することは、イコール公式3個分くらいを回って『電波男』に反撃を喰らわせることになる。これは注意すべきことだったと思うのだが…。
参考:乙女向ゲーム攻略&二次創作中心サイト +Peche+(http://www5e.biglobe.ne.jp/~peche/)