「隠し要素捜索」という時代と、現在のゲーム。

 昨日の土曜講座で、「裏技」「隠しキャラ」がファミコンブームに荷担したことについて述べられた。たしかに、隠し要素が発見され、友人間での話題等で使用できるということは、ブームを引っ張るに十分な要素だっただろう。
 しかし、そのバグや「隠し」がブームを引っ張ったのは、親たちが危惧した子どもの孤立化とはまったく裏腹に、そこに子どもたち同士のコミュニティが「まだ存在していたから」ではないだろうかという疑問を持ってしまう。そして、そこにあったのは必ずしもライバル意識・敵愾心だけではなく、協力してGMに立ち向かうプレイヤーの姿ではなかったかと。非常に残念なことに、その協力はゲーム関連出版企業によって中途で頓挫した(……と見るか出版企業を「冒険者の店」として総力で打ち破ったと見るかはそれぞれだ)。

 この疑問に至ったのは、帰宅後IRCでI氏に概要を説明していく中で受けた指摘による。
 隠し要素が引っ張ったこと、ゼビウスがその原典であったことについて、彼はこう返したのだ。


 『やりすぎるとドルアーガだが』。


 ご存じのように、ナムコドルアーガの塔』は業務用でも使われていながら、隠しアイテムを見つけないことにはゲームを進行できないばかりか、見つけた隠しアイテムが実は不利益を与える物であったり、あまつさえボスは倒すのに特定の手順が要るなど、徹底的な捜索を必要とするものだった。言うまでもないことだが、隠しアイテムの捜索や情報を得ること無しにはゲームクリアなど望めなかった。それぞれはたった一人のプレイヤーキャラクターを操りながらも、志半ばで倒れたギルの大群と彼らが命がけでもたらした情報を踏み越えてドルアーガに挑むという「協力態勢」こそ、当時の隠しキャラブーム下にあったゲームの本題ではないかと思うのである。

 しかし。

 我がブログの左上にも貼ってあるバナーからもわかるように、ゲーム自体が物語性を要求しはじめてからは(少なくとも「ゲーマー」において)その協力態勢は完全に打ち砕かれた。ゲームを進めることは「物語を読み進める」ことであり、ゲーム進行の手がかりを共有することは物語の先を共有することになってしまう。そして、物語の先を知ってしまうことを避けるため、「ゲームの手がかり」を共有しようとする者は共有しようとしない者に対して一定の警告を必要とするようになってしまった。また、作品によっては「情報共有のため」書かれたサイトをメーカー側が閉鎖・削除させるという事件も昨年には起きた。メーカー側も協力態勢を望まなくなったのだ。
 もはや、ファミコン時代のゲームを題材に「ゲーム」を語る時代ではないと考えずにはいられない。


 さて、上村教授は結びにおいて「ファミコンの思い出」という言葉を使われた。そこにある思い出とは、ゲームクリアのために友人たちとぎゃいぎゃい言い合った思い出や、二人プレイでの対立とリアルファイトだったりする「ファミコンで遊んだ思い出」だろう。しかし我々を含むポストファミコン時代にとって、「ファミコンの思い出」とは「ソフトが持っていた物語とキャラクター」の思い出ではないかと思うのである。

 SFC初期、任天堂はキラーソフトの一角として『ファイアーエムブレム 紋章の謎』を投入した。CMには裕木奈江が起用され、こんな言葉を話している。
 「わぁ、マルス、久しぶりだね」
 1970年生まれ、教授の定義する「ファミコン世代」のアイドルであった彼女が、CMとはいえキャラクターを押し出したことは、「ブームを引き起こした『ファミコン』」は(FE第一作時点で、あるいはパスワード等のセーブ機能に基づく大作化により)既に変容していたことを端的に表してはいないだろうか(もちろん、彼女が前作プレイヤーであるという前提に立てば、「おうマルス久しぶりじゃねーか、前作じゃ攻撃力も防御も中途半端なくせに成長させなければならないおかげで何回リセットしたかわからねえんだぞコノヤロウ」という「ファミコンで遊んだ思い出」解釈も可能だったりするがそれはさておき)。

 以上、雑感と最後の問いへの私的回答。