第一回・総論序盤編

注意:私はエロゲについて一般的ではなく逸般的嗜好を持っているし、裏人格思考回路はS腐女子系である。故にきわどい書き方が多いので信者・ファンの方はそれを覚悟で読んでもらいたい。

では以下ネタバレ。

……とその前に。

しかし本筋は男の子であるというのが大きいと思う。
主人公にしても時折雰囲気に流されてお姉さま的行為に及んでは自分でがっくりきているのが面白いくらいで、基本的に行動原理もシナリオの核心も男の子的文法に終始している。

……書くつもりだったことをひとことで書いてくれてしまっているゲーセン同志S閣下……_| ̄|○オノレトットトダキマクラバレシテシマエ.........。


そう、まさしく『おとボク』の問題点はここに帰結する。
女装し、一年近く女子校にいながら、行動原理も言動もジェンダー観もなにひとつ旧態依然とした感覚のままなのだ。核地雷『なりきりプリンセス』(リンク先はメーカー公式・18禁)ほどの変態野郎でこそないものの、男性行動原理から外れてしまった自分に自己嫌悪することをギャグに使っただけで、中身がまったく染まっていない*1。これでばれないわけがないだろうと小一時間(笑)。

主人公の行動だけではない。

シナリオや周辺キャラを覆う価値観もまた、やはりエロゲという枠を越えることのできない旧態依然としたものだった。
たとえば余暇の過ごし方。

まりや「服と化粧以外の、唯一の女らしい趣味かな、あたし的には……ま、効き目優先だからそんなに美味しくないけどね」

中盤、ハーブティーを淹れたまりやのセリフである。かましいわ趣味にまでジェンダーロール押しつけるなコノヤロウと私が反発したのは言うまでもない。同じく圭のホロスコープ、これも「女性的」趣味として描かれている。
そしてなによりも不快だったのは、展開の上で仮想敵視される「存在だけ登場するキャラ」の持つ男性主義的価値観に反発するというを持つ「シナリオの核心」を持ちながら、それとなんら変わらないマッチョリズムによる解決がなされ、その幇助として「敵視している側の女性」が背中を蹴り飛ばしていることである。

貴子「だからこそ紫苑さまに会えばいいのです。男なのですから、いつも女の云うことばかり聞いていてどうするのです」

これだ。思わずキャプとるくらい頭に来た(苦笑)。

由佳里や奏が、全面的に頼る言動や行動をとるのは年上ゆえのものだとして理解もできよう。しかし他の連中はどうなんだ。主人公が男だと判明してからの言動の翻り方は正直気持ち悪い。以前からしばしば書いていることだが、「男性に頼る女性」というイデオロギーに対して、それを肯定することに何ら疑問を持たないままでジェンダー(ロール)フリーなんてことはナンセンスだ。そして、一見ジェンダー観に踏み込んでいると思われる作品でさえこの構図に多くのユーザーが違和感を持たないことへの疑問……それがエロゲという枠組みの限界ではないのか。
たとえば、昨年から急速に流行した「姉ゲー」*2の流れにしても「甘える」あるいは「苛められる」という構図でありながらギリギリのところで主導権を主人公(男)に残し、逆転させていることからも、ユーザーの矜持をなんとか保っているわけだ*3
良くも悪くも男性という購買層からカネをむしり取るための限界がそこにある。構図上総受*4であってさえ、主人公(男女を問わない)は最終的にヒロインより上位になくてはならないという限界が。
そしてそれは話が終盤に近づくほど顕著になっていく(言うまでもないことだが、純愛ゲーでは「終局」=「えちぃ」である。『とらハ』みたいな例外はあるが。)……のだが、そのあたりについてはまた後日。女性閲覧者が確定的にいるblogでえちぃな話は書きにくいねしかし。

*1:このあたりについては各結末についてでふれる。

*2:余談だが、『姉、ちゃんとしようよ』の要芽姉様について、うっかり「ぬるいね〜」と裏人格そのもののノリで言ったら壮絶に引かれた……。

*3:それで物足りない、もっと苛めて欲しいなら私とは逆の方向で一般エロゲヲタの範疇ではないことを自覚しなさい

*4:いかなるカップリングでも受になるキャラクターのこと