女性上位の構図

 ジェンダー・家族の写真等についてGoffmanとは異なった構図を捜すことが講義を通じての宿題になった。たとえばそれは家族写真使用広告の構図であったり、仕事や観光の写真の男性と女性の配置であったり、女性の手つきだったりする。
 こういった分野で「Goffmanとは異なる構図」というと、実のところヲタク方面では結構豊富ではないかと思う。常に「意外性」を求めるジャパニーズヲタクにとって女性と対戦車「さよなら、ツヴァイ」ライフルだの、女性と日本「ヤッチメイナー!!」刀だのは特殊でもなんでもない。

 たとえば「三悪」。
 「やぁっておしまい!」「アラホラサッサー!」の構図は、ハリウッドやアメリカ広告業にはほとんどあり得ない構図だといっていい。正義の味方サイドが古典的な夫唱婦随の構図にあるのとは対極に、たとえば『ヤッターマン』での、最上位に位置するドクロベーの命令に従いつつ、トンズラー、ボヤッキーをこき使いぶん殴るドロンジョは、ジェンダーに関する議論があまりなかった当時としては実に革新的なキャラクターだったのではないだろうか。恋愛的要素が皆無(追従する男性がいない……ドクロベーは男性に含めてもいいのか?)でありながら、爆発や溶解物質によってほぼ全裸になるというセクシャリティを強調するシーンを持っているにもかかわらず、彼女の立ち位置は男性を従える中間管理職である。


 さて、現代において「男性が女性を下位に置く」のか、「女性が男性の(特に経済的依存)下位に付く」のか、私には未だ判断が付かない。
 共同で行う消費構造において男性に依存することが当たり前とする女性のバイアス、あるいは依存されることが当然でありそれが男性の義務だということを男性に押しつけるバイアスが撲滅されない限り平等なんてものはただの夢想に過ぎないと私は考える。その程度の頭が主張する平等なんて犬にでも食わせてしまうがいいさと毒づいてみるバイアス最高潮の時期。


つくづく『天使の羽のマーチ』は名曲だと思うね。