「プチ萌え」とヲタク的特権意識

 やじうまNow Reading!さんより「オタクとマルクス主義」。オタクの持つ特権意識をサックリやっている点で面白い。


 オタクの特権意識の原因たる「『萌え』なるものを理解しているのは優等人種であるオタクのみ」的な言説は、おそらく「かわいい」と「萌える」の境界線確定に悪戦苦闘した結果である、と私は考えている。
 ・「インドア派」であり「マスクリニティから排除され『周縁化される男性』」であるというコンプレックスから、ショタ、受キャラ等における「ぎゅ〜っとしたい」といったような「保護・庇護的な表現」を使えなかったこと。
 ・一般人の半数以上である「女性」に対して、いわゆる「女性から反感を持たれる」キャラクターへのオタクサイドの意識は、一般的に(女性に対して)用いられる既存の表現では論じられなかったこと。(オタク自身がジェンダーに対して「考える」ことをせずに開き直った?)
 ・結果として、不明瞭きわまりない「萌え」という用語が一人歩きしたのではないか。
 もう一つ挙げておくならば、旧来のオタクがアイデンティティとしていた難解で膨大な設定の考察に対する自意識を、誰にでも明白すぎるキャラクターという分野にも引きずっている可能性がある。少なくともこの場合は特権意識そのものといえるだろう。



 余談だが、オタク以外が使う「萌え」というものに関しては、ヲタク文化の認知化に伴いいつごろからか女性向け方面でも使われることになった現象が挙げられる。C翼・星矢・トルーパー時代の「やおい」から、キャラクター小説の手法と消費の発展に伴い「ボーイズラブ」として一大ジャンルを形成した現在であっても、いまだヲタク研究関連でさえタブー扱いに等しい分野である。残念ながら、男性研究者がオタク文化を擁護するほどには、ボーイズラブ系の文化を擁護する女性研究者は少ないのである。
 また、これまで、「線の細い青年」が中心であったボーイズラブ小説の表紙・挿絵についても、従来であれば男性向け側にあったようなディフォルメ系・美少女系(と書くのが果たして適当かどうかはともかくw)イラストが急速に増加している。
 参考として明×通信ボーイズラブ作家・大槻はぢめ公式サイト)を挙げてみよう。トップページにあるイラスト、あるいは中の商業単行本表紙絵(なかでも起家一子絵師のものが典型的である)を見ても、従来の女性向け同性愛系作品……たとえば『富士見二丁目交響楽団』のような……の表紙絵とは一線を画している。もはや「萌え」は(最近叩かれている範囲の)ヲタクだけのものではない。ボーイズラブを筆頭に、女性側もまた「萌え」をマーケティングとして利用しているのだ。


 もっとも、オタクがここで持っているのは特権意識だけではなく、過去に一般市場から彼らを排除した連中(マスコミ、ファッション産業)が、オタクによって形成された「聖域」に割り込んでくることへの反感であるという言説も否定できないのであるが……。