元から三次元に志向してるじゃないか。

本日毒物多め。

ぼくの嘘

ぼくの嘘

 友人の彼女が好きなんだが叶わないから、忘れていったカーディガンをクンカクンカしてたらクラスの派手目の娘に写真撮られたでござる→その娘がまさかのビアンで、ダブルデートを口実に思い人の彼氏を値踏みしてやろうという企みにつきあわされるでござる→絶望した!、から始まる……いや、悪いけどこいつをラブコメにカテゴライズはしたくない。
 藤野恵美という作家は良くも悪くもクソマジメな作家だと思う。クソマジメであるが故に許せない物が多くて、世の欺瞞が白々しく見えて、おそらくそれを商売にしてることそれ自体も憎んでるんじゃないかという疑念すら持ってしまう。
 恋愛なんかすべからく自己陶酔と打算であって必要なのは相手の弱みにつけ込む交渉術だと言わんばかりの描写と、その産物である家庭なるものの虚構性を叩きつけておきながらも、「相手の弱みにつけ込む交渉術」を前面には押し出しつつも「幸福な結末」に押し込める結末は人を食った話としか言いようがなく(冒頭あれだけ束縛をもたらした「家庭」が消し飛んでいることもそのひとつだ)、いったいどこに恋愛をする気になれる要素があったのかと思う。そんな方向に思考が行ってしまう俺なんかは主人公がアニオタという設定からも各種のパロディからも「台詞に感情と思考を合わせる」という虚構の一つに思えてくる。おそらく既婚者の彼も台詞に「乗っている」という虚構なのだろう*1
 まあそんな結論を考えてしまった結果、『ハルさん』に手を出す気には全くなれない。

 

シンデレラウミウシの彼女 (YA! ENTERTAINMENT)

シンデレラウミウシの彼女 (YA! ENTERTAINMENT)

 こちらも、ざっくりラブコメやニアホモとして読むとそうでもないのだが、細かく読んでいろいろ想像するとろくでもない想像に行き着く(以下ネタバレなので畳む)。
 「もしかすると如月かずさという作家は女性が、というか女性のコミュニティが嫌いなのではないか」という想像だ。
 得体の知れない女子よりも、よくつるんでいる男子について「こいつが女子だったら」と考えたことのない男子中学生というものがどれくらいいるのかはわからない(俺なんか中学二年の時には三次元からおさらばしていたからもうまったくわからない)。ひょんなことから願いが叶ってしまった、これだけならああそのまま突っ走るしかないよね、で終わる話だ。
 ところが、ガクがマキの記憶が薄れ始めていると知ったあたりからは物語は一転してホラーの色彩を帯びてくる。中盤以降、男子としての記憶をなくしつつあり、女子の友人といることが増えたマキにガクは強い危機感を持つ。これは自分の身勝手な願いで女子になり記憶を失うマキへの罪悪感と焦りだ、と理解するのは簡単だ。しかし、俺の中の邪悪な部分が言う。「マキは(気心の知れた同性の友人から)得体の知れない『女子というモンスター』になりつつあるのだ」と。「女子特有の陰湿さや群れ方」というとフェミがうるさそうだが、それが否定できない現実としてある以上、中学生男子であるガクが「そうなりつつあるマキ」に恐怖を覚えるのは当然のことであろう。描かれていくのはマキを連れ去る女子に対する嫉妬などではない。マキを飲み込む怪物への恐怖なのだ*2
 そう考えると、読後の「これからどうするんだよ」という問いに答えがあるはずもない。ホラーの後に待っているのは基本的には破滅しかないのだ。

カエルの歌姫

カエルの歌姫

 こちらの主人公は男性の身体を嫌悪しながらも女声を身につけようとし、外形に惹かれるが、しかしゲイでもトランスでもない。ヒロインとして登場する少女は女子コミュニティから浮いた存在である。「かえる」にとって彼女は理想型であるが彼女にしたい等の性的興味の対象ではなく、一方彼女にとって「かえる」は外部者であるのだから、そこには女子コミュニティは存在しない。
 ……では、「かえる」の仕掛け人たる男子はどうか? 俺には彼が「聴覚だけならば女子である必要は無い*3」という極端な割り切りを有する存在に思えてならない。


 そんなわけでここのところ読んでたYA児童書は「俺みたいな人間が間違った方向で楽しむ」にはいい題材だった。ただこれでYA向けのブックガイドは……書けないなあ……www

*1:ガンダムの台詞で自嘲する・友人にツッコミを入れる人々にはよくわかるだろう、あんな気分である。

*2:もしかすると、ガクがマキの身体を視覚触覚をもって確認しようとしないのは事態の確定へのおそれなのかもしれない

*3:下品な方向にたとえるならば「尻なんてどっちにもついているのだから自分のでも触ってろ」だとか「どうせ触れないヤれないなら二次元嫁でもいいじゃん」だとかのw