Twitterから垂れ流し。

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エロゲやラノベで親が出てこないのは父性とかへたれマッチョとかそういうものじゃなくて要するに邪魔だからだよな。少女小説や少女漫画でも彼女が自由に生きるためには直接支配する同性の親がいないことが大前提ってのと同じで。

まあそのくせそういう少女ほど相手役男に対しては家庭とか母性を突きつけて、人間不信だったマザコンロリコンのイケメンどもがあっさりと撃墜されるんだがw。

……って、なんだ、もしかして俺がヴィクトリアンローズテーラー好きなのは、少女小説なのに「信念・プロ意識のぶつかり合い」「同性の親との対決」「熱い友情」「魅力的すぎるサブキャラ」と少年漫画的な要素がてんこ盛りだからなんじゃないか?w

未来像がクイーンではなく大統領夫人なのがラビニアの限界。

昼の話の重複だが、自由に向かって驀進する(まあ大抵はイケメンの後詰めが付いてるわけだが)少女のファンタジーって大抵母親いないか家の支配が切れてる/限りなく薄い。オヤヂのいないハーレム系ラノベと状況はそう変わらない。

60・70年代の「バーチャルな逸脱(盛り場、ゲーセン)」「バーチャルな戦場(紫電改とか戦場ロマンとか)」の前には「バーチャルなサナトリウム」ってのがあるんだったなそういえば。

郊外郊外ってやかましいけどさ、結局それって丘ミキや島物語からなにひとつ進歩がないってことなんじゃないのかと思う。