タイトルでBLだと信じて疑いませんでしたサーセンw

 ぶっちゃけると俺の見解は「単に当人のイデオロギーの問題で、左派にとっては嫌韓流に見えるし右派にとっては創竜伝に見える」である。俺はどちらかというと精神論が先行してる分だけ後者に見えたということ(Kadzuki=Nagara_KDZK)。前者ならもっと数字や契約にうるさいだろうw。さらにいえば「こんなのに政治持ち込むなよ野暮天が」。


 それより何となく思うのは、エンターテインメント上で(義務のない存在に)自助・作為を要求するのは本来左派(リベラル、革命主義)の理論だったように思うこと。『風の万里 黎明の空』におけるショウケイ(変換できねーよバーロー!w)や『とある飛空士の恋歌』のカルエル、『花守竜の叙情歌』の(名前忘れた)について、俺のようなガチガチの法律主義者は帰責性を認めないつーか責任取れとか言い出すアホを鼻で笑うのだが、子どもまでギロチンにかけるような革命主義者などは不作為責任を批判するように。それは同時に戦後世代に謝罪と賠償を求める人々、あるいは併合時点で生まれておらず終戦時点にもろくに権利能力の無かった女性や子どもを惨殺「等」した人々との共通点ではないかと。だから俺には左派同士の殴り合いに見えるわけだ。


 要するに俺は『いかなる星の下に』と『〜恋歌』はあまり好きではない、というか前者と『キャプテンキッド』のハリーの過去は工房当時に反革に振り切れるほどのトラウマもんなのである。他力本願を虫けらというのが気に入らないなら『風の万里〜』(特に鈴)も気に入らないと言わねばなるまい。俺は実に気に入らんのだが、近代法ではない世界にマジになっても意味がないので流す程度の理性はある。