要するに反マッチョ、反激変なんだな。

 こないだ書いた「沖田の登場」とかその辺勘案すると、結局のところ自分達の無力さを自覚し、一定の諦観を持っていることがラノベの条件にも見えてくる。見えてくるだけだがw。「想定する民衆像がおかしい。自律的に判断を下せる人間だけを考えすぎ」とちょくちょく左翼な先輩に言われてた俺だが、なんとなく彼の気持ちがわかったようなわからないようなw。
 『ぼくらは海へ』の那須正幹が『子どもの本と明日』で「欠点が必要」と書いているのもそのあたりに繋がるのかもしれない。
 逆に諦観じゃなくマッチョに突っ走ってるのが現代の少女小説だと思う。ペリーヌ以降の専門職マッチョ路線というか。その意味では『伯爵と妖精』もかなりそれっぽい。