普通の人生を漠然と生きて、漠然と両親と同じような家庭を持つ男がいないんだなと思った。

 殴り書き。
 現実の話ではなく、少女小説の世界の話。


 「歪んだ家庭観を持ったイケメンを矯正させた上で心理的に優位に立ちつつ経済的に依存する話」が多すぎる、というのはここでもちょくちょく言っていたことなのだが、振り返れば、コバルト以後の少女小説の歴史は「普通の、比較的幸福なモデル家庭に育った男性」、漠然と「いずれ自然に恋愛して結婚して家庭(家を継いで、に非ず)を持って」といった将来設計を持った男性キャラが絶滅していく歴史でもあったのではないかなと。ナチュラルボーンのキザ変態は昔からいたけれど、今の相手役男性はそれ以上に壊れているのではないかと思う。


 少なくとも80年代コバルト、ユーモア推理や青春小説に登場する男は、普通の家庭に育ち、家庭への志向がそこそこはあった。主人公少女に向かって「奥さん」を意識した煮えセリフのひとつも吐いていた。『クララ白書』の彼(名前が思い出せない)も、妹や両親と良好な関係にあり、しーのに関しても歪みを見せないつきあい方を実践する感覚を備えている。
 ところが、現在そんな相手役男は絶滅状態もいいところである。大抵の男が家族がいないか歪んだ家庭に育っていて、歪んだ家庭観を抱えたままマザコン丸出しで、利用できるモノなら利用するだけ、俺に必要以上に近づくな、の武装ハリネズミ*1なのである。先日の「素敵男子フェア」なるものを見返しても、ハルセイデスしかまともなのがいねえ!」「辛うじてユキチが普通な方か、シスコンだけど!」な有様だった。


 もちろん自分の欠損や過去を克服し、家庭の構築に向かう「自己再生」を果たした男がいなかったわけではない。孤児だったが才能と努力で養父のあとを継ぎ、長い遍歴の果てに(非常に傍迷惑な事情を超えて)自分の家庭を持ち、実母と再会を果たした……『龍と魔法使い』のタギは一人の男性の再生の物語であった。また「家庭の敵」をストレートに魔物として扱いながらも、敵たちの作る家庭や価値観を全否定まではできない(だからこそ完結できないんじゃないかと俺は思うが!)『破妖の剣』において徐々に父や母との折り合いを付けていく邪羅もまた、ザハトという「子ども」から自己再生に向かった「男性」であろう。


 ところがこんなのはごくごくわずかの事例であることはいうまでもない。


 現代のライトノベル少女小説の女性は「家」を拒絶する*2一方「家庭」への志向を捨てることができず、相手役男性は「家庭」を白眼視しながら「家」への帰属意識だけが強い*3。相手役男性どもの「不幸な生い立ち」とそれを利用する主人公少女たちの奇妙な依存関係と、それを構築するための周到な舞台設定は、戦後少女小説における大きなファクターだと思う。この辺をいつかまとまった文にしてやろうと思いながら、ずいぶん時間が経ったモノである。

*1:流れぶった切りだがハリネズミではなくヒキコモリになってる侯爵をとりあえず殴らせろ!!

*2:外形的にはイケメン消費のgdgd小説に見える高遠砂夜作品を俺が完全に切れないのは、イラストレーターのファンであるということもあるが、家や運命からの脱却という一線を外していないことが理由である。

*3:ガルディアのように全部捨ててしまったのは実に潔い。ちなみに俺は『08MS小隊』は少女小説だと思う。