嗜好の違いにすぎない

表現の自由の前に立ちはだかるセクシャルハラスメント −−煩悩是道場
http://d.hatena.ne.jp/ululun/20090618/1245287314

 「セクハラ」という枠によるエロゲの取り扱いが避けられないということと、その枠が社会的習俗という流転する規範を背景としつつも「※但しイケメンは除く」な恣意的私刑一歩手前の存在であることのジレンマ。
 これが広範な規制に転化することを危惧するのか、あるいはその恣意性ゆえの「幅」を突きにかかるのか、その転回はどのようになされるのかということに興味はある。
 ただ、セクハラを表向き客観的に規定する枠そのものが「当該社会『では』許容されない行為」である一方で、架空世界で行われる「当該社会『では』許容されない行為」もまた強い需要のあるものだというジレンマもあるように思う。



 少女小説での話をすると、『マリア』なんてストックホルムシンドローム全開で、「人を食ったようなハッピーエンド」だといっても過言ではない。侵攻してきた敵の王子に両親殺され強姦され幽閉され、開放されて別の男とくっつくのかと思ったら最終的には男が迎えに来てそれについていく。エロゲで似たような結末のを探すと『BLOOD ROYAL』『EXILE』あたりが該当するか。
 しかし少なくとも『マリア』は、その他の榛名しおり作品(なんつーかこの作者には強姦されるヒロインが付き物なのである)や多くのBLと同様に規制の「き」の字もでてこないし、2005年には(十二国記で味を占めた講談社によって)少女小説の外側の層を狙ったレーベルに再版されている。


 日本の治安がマシだからこそエロゲが楽しめる、というような見方*1に寄れば、これもまた少なくとも婚姻の自由および性的自由を享受する社会においてのみ受容可能な存在である*2


 結局のところセクハラという表向き客観的に見える概念を用いようとも、「受け手がそれを受容するかどうか」という恣意性にどう対処するかが至上命題になることは変わらず、表現はその中で生き延びるしかないということか。









 ちなみに俺の「恣意的な話」をすると、凌辱ゲーにおける「ケモノ化・豚化」(http://rosebud.g.hatena.ne.jp/Kadzuki/20081030/1225370529)の増加は規制側の不快感・反感を助長している(おそらく女性側も「生理反応としての快楽」を嫌悪しているのではなかろうかと)のではないかと思うわけで、個人的嗜好の点からももう少し自重しろと思わないでもない。とりあえず『仏蘭西少女』が無事に発売されますように。


 (それにしてもこの状況で凌辱ゲー3本セットって、たしかにすげえな『メガストア』……w。)

*1:過去ログだとhttp://d.hatena.ne.jp/Kadzuki/20090608#p1

*2:どうやらこれはBLにも言えることらしい。http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090614/1245018582。そういえばアメリカのスラッシュには一方的な関係性のものは少なく大半がリバ有りだとか……。