屋台における「多文化」化。

 ちょっとした失態のせいで、厄落としがてら今宮戎に足を向けた。
 ケバブ以来多文化化は屋台の食い物から始まるんじゃないかとふと思うわけだが、大阪の屋台はアパッチ系や生野・鶴橋あたりのの朝鮮半島料理もあってさらにカオス(それにしても半島料理って春雨の使用頻度高いよなあ……。見た目のボリュームのわりに空腹になるのが早いのが難点……)。


 ただ、その一方で、「まず食ってみろ」式交流の陰に隠れた「アレルギー食材」ならぬ「戒律抵触食材」的なものの話はとんと聞かない。
 ある祭で手伝った屋台で、食べたそうに見ている子どもに「豚肉が入っているからダメ」と告げたその子の母親と、それを見て即座に「豚抜いて作るよ! ちょっと待ってて!」と応じたおばちゃんのやりとりを見て以来、なんとなく懐疑的になってしまう。我ながら難儀な話だ。


 肉の話で思い出したが、リヒター『あの頃はフリードリヒがいた』では、ナチスによるユダヤ人隔離および一般人の反感が「牛屠殺時のユダヤ人の残虐性」(ご存じの通りユダヤ教は一定の手続きを踏んで屠殺した家畜の肉しか食べない)を理由のひとつとしていたことに言及している。
 南氷洋で海賊類似の行為にいそしむグリーンピースシーシェパードといった自称環境保護団体も、犬の屠殺における俗信を必要以上に引っ張るねらーも、70年前の偉大な先人たちに対して思いをはせてみてはいかがだろうかと思わないでもない。