三次元キモス、の波

 そんな波が立っている。

http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20080711/1215782732
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20080712/1215870050

 二次元と三次元の相容れなさというのは『沙耶の唄』やそれを巡る評論で散々既出だからいちいちふれない。
 実際キモイんだから仕方ないじゃないか、と二次元オタまる出しの視点からいうよりも、俺にはこれがいかにも「日本的」なものに見える。

「現実異性の代用品」を超えはじめた、二次元美少女達
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20080713/p1
ところが、2000年ごろまでには「萌え属性」もあらかた出揃い、“ノイズを混ぜない美少女の造形”が大体整うようになるとと、美少女キャラクターに含まれるノイズは非常に少なくなり、それほどたくましくない想像力の持ち主でも、混じりっけのない美少女脳内補完が容易になった。

 あくまで俺の感覚的な話しだが、そもそも、日本の美意識を象徴する「粋」という概念自体が、ノイズを除去する方向に働いていたという印象がある。吉原の表象や歌舞伎で表現される女性の美、内実は意地と諦観の要素を充実させ、ドロドロしたノイズを低減し、媚態の過剰さを押さえる作用さえ持っている。女性のメンタルな部分を重視することで肉体が構成する場である吉原さえメンタルに振ったのが江戸からの日本の美学ではなかったか*1。表向き美から排除されたものは春画として生存したが、その春画とてグロテスクな局部描写以外はわりと記号的な構成になっている。
 そして、その後発生したのが明治大正における、上村松園などに代表される「きわめてクリア、ピュアな」美人画ではないか。アカデミックな場において対象となったのも、松園のようなメンタルな部分の表現に重点を置いた美人画であって、以前俺が先輩から見せてもらったような白粉のノリ具合や目尻の皺まではっきりわかりそうな「美人画」(誰の作か忘れたーー)なんて教科書に載ることすらなかったわけだからして、女性の美におけるノイズが許容できないと言うのはなんらオタクに限定された話ではないと俺は考えるのである。
 この辺は専門家にツッコミを受けそうだが*2、しかしてルネッサンス絵画を見た時の一般人の反応において「なんだこの肉肉しいのは」「ルネッサンスデブ専!」的なものがしばしば聞かれるというのは、日本人の美意識におけるノイズ耐性の低さを現しているようにも思える。


 でもさすがにデフォルメの域を超えたデッサンレベルの異常だけは勘弁してもらいたいよなあと思うのもまたオタクのサガである。

*1:帝展などにおいて一般女性のエロティックな姿を描いた絵画が批判を受けたことは、日本において女性の美は徹底して「一般の女性」像からノイズを排除したものであると考えることができる。

*2:オフラインで専門書を脳天に振り下ろされる覚悟はしておくことにしよう……。