禁忌。

 刑法屋が絶対に言ってはいけないことだというのはわかっている。
 しかし。


 盗んだバイクも借りたトラックも、夜の校舎の窓ガラスもアキバの群衆もエリート小学校の生徒も、やる側の目には同じモノに映っている。
 紙一重で「こちら側」におり、いつ紙一重で「向こう側」に行くかわからない人間にとって、池田の彼やアキバの彼は、いつか未来の壊れたであろう自分である。


 ふと某氏の発表を思い出す。開高作品の元警官の持論と、コメントで指摘されていたいくつかの事件の死者たち。あるいはそれらから俺が連想した桂言葉の最期の笑顔。
 しかし、60年代70年代の「死ななければ印象を刻めない」時代は終わり、ただ死んだだけではそれすら不可能な今、「大量に殺さなければ印象に残らない」時代がやってきている。何かを訴えるために「一人殺せば殺人者、百人殺せば英雄」を実践しなければいけない時代だ。言葉が強烈な印象を残したのも、それまでのエロゲ世界が非常に平和だっただけのことだ。『プリズンホテル 秋』の「集金強盗の手記」も、今じゃ大きな力は持たないだろう。


 バイクも盗まず校舎のガラスも割らずに真面目にやってきた世代が、ニコ動やMADを経由して黒い方のアリプロや、周回遅れで筋少聖飢魔IIにハマるのもなんとなく納得できる。
 小谷真理が『テクノゴシック』の冒頭でアリプロを引いて三年。
 小谷が来てたシンポジウムに行けなかった時に、ついその勢いでMMR並に無茶苦茶こじつけて書いてた話は、今の俺の中で膨らんでしまって、ロストジェネレーションの「アンチヒーロー」として認識するようになってしまった。

講演に行けなかった傷は重い。
http://d.hatena.ne.jp/Kadzuki/20051029#p2


ならば、「メインヒロインのための制度」世界にただ生まれ落ちた凡人的ヒロインではなく、その制度上で二次元的真理に適合しない者として自らの意志の及ばないところ(ヒロインの持つ後天的行動の設定ではなく、先天的事情および後天的ではあるが自身ではどうにも抵抗できないものだった設定のこと。)で作り上げられた彼女はどうなるのかということだ。