ヘタクソーーー!!

映画「靖国 YASUKUNI」、続々上映中止。公開予定日(4月12日)の上映館0に!
http://specificasia.seesaa.net/article/91833785.html

 19条21条を信奉する俺なので、「映画館が左右問わずテロに屈してどうするよ、せっかく話題の映画(笑)なんだからw」という部分はある。日教組や朝日や中共のカス共と同レベルに落ちてどうする。
 しかし俺に言わせれば、表現の自由以前の問題として、「どんな意図を込めるにせよ、事前にばれないようにやれなかった制作側が超絶バカなだけ」。観客というやつは「面白そうな映画」に金を払うんだから、少なくとも「面白そう、興味深そう」には見せなきゃいけなかった。ところがへまやらかした上にマスゴミに背後から撃たれてこのザマだ。あまりにもみっともない。


 助成金もらって真逆の映画作るのも、「反抗的な監督の芸風」として俺は許容できるんだが、詰めが甘いんだよ詰めが。いい加減な資料使ったり、内容が事前に漏れるなんて、頭沸いてるんじゃねえのかとしか言いようがない。作り手としてそもそもどうなのよと。


 関連俺エントリ:http://d.hatena.ne.jp/Kadzuki/20080314#p2


 表向き「感動の映画」に仕立てて「気付いたやつだけ、素質のあるやつだけ震え上がる」というスマートな搦め手*1が使えないような監督じゃ、その意味においても「助成金出す意味が無い」ってことを露呈してると思うんだけどね。


 そういった「搦め手」について俺が信奉するのは「昔の」秋山完。『リバティランドの鐘』の左右容赦なくぶった切る二正面メタファーはまさしく神がかってた。あれもまたレイアースウテナ同様90年代の作り手たちの落とし子だが、その中でもザン剣や影の王国と並んで最強クラスだと俺は思う(信者補正アリ)。

*1:意図がストレートすぎてダメなのは、左右問わずプロパガンダ映画の特徴であり、ゲッベルスが最も否定的だったやり方だ。ストレートすぎることによる違和感は、当の靖国神社で昇殿参拝の待ち時間に流されるビデオも例外ではない。