ゲリラライブってのはゲリラだから意味があるんだぜ。

 どこぞの映画の報道。
 実を言えば俺は、「ひも付き予算」で反抗すること自体は一つの芸風、身も蓋もなく言えば「ネタ」として許容できるんだ。「スポンサー、事務所、宗教団体は神様です」てな作り方でろくなもんができないのはテレビ見てれば明白なわけで、制作者の裁量それ自体は頭ごなしに否定するべきではないし、そもそも憲法にもそぐわない。
 但し、それをやる以上は「税金投入の説明責任を果たすため」として査読めいたチェックが入るのは当然予想してしかるべきで「表向きばれないようにやる」という前提がクリアされていなければならない。捏造疑惑写真に躓いてブラックリスト入りしてしまい、事前に観客の目にフィルターをかけてしまうような(つか左派メディアも検閲だとこじつけてわめくよりも知らん顔しておけば観客に先入観与えずに済んだんだぜ? おまいらバカだろ?)まぬけな事態は避けるべきであったろう。そこまで見事にカモフラージュした上で白紙の観客にぶつけるところまで持ち込んでこそ「やつらの裏をかいてやったぜ!」的カタルシスがあると思う。
 いずれにせよ、結果、この監督はこの報道によって、観客の何割かに情報武装する態勢を整えさせてしまったし、「わざわざ見に行った物好き」のうち敏感な者しか知ることがなかったであろう「悪意」を広く大衆に暴露されてしまったことで場合によっては税金返還訴訟の的になってしまうわけだ。背中から撃たれた監督に合掌、ナムナム。


 まあマスゴミ牛耳ってる連中は、学生の頃政治活動に必死で暴力による主張の誇示しか知らないで、表向き優等生の顔をしていざ学園祭や卒業式でゲリラ企画やるなんてことは思いもつかないのかもしれないがね。