いつのまにか
ARAのハートフルが揃っていた件。
迷夢のコントラスト―アリアンロッド・リプレイ・ハートフル〈3〉 (富士見ドラゴンブック)
- 作者: 久保田悠羅,F.E.A.R.,bomi,菊池たけし
- 出版社/メーカー: 富士見書房
- 発売日: 2007/08
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星霜のロンド―アリアンロッド・リプレイ・ハートフル〈4〉 (富士見ドラゴン・ブック)
- 作者: 久保田悠羅,F.E.A.R.,bomi,菊池たけし
- 出版社/メーカー: 富士見書房
- 発売日: 2007/12
- メディア: 文庫
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上級ルールと『リィンフォース』もあるのはどういうことだろうな俺w。
いろいろ考えること、考えるべきことはあるんだけど、最近のテーマは「業」だったりする。何「的」であろうとリアリズムって結局のところ「人間の業」のようなものから出てくるのであって、それが現実と一致する必要など無いのではないかと思い始めている。どんなにお約束でテンプレでも、それに反応してしまう「業」は、虚構だとわかっていても「それを(仮想において)共感してみたい」と感じるような厄介なものであって、それはオタクもスイーツ(笑)も純文学も同じだろうと。
たとえばハーレムも逆ハーレムも、鬼畜も純愛も、ロリコンもオバコンもショタコンもオジコンも、物欲も性欲も自己陶酔も、シンデレラコンプレックスもピグマリオンコンプレックス*1も、現実の取り扱いや関係性なんかどうでもよくて、それに潜在的に憧憬やコンプレックスや敵意を抱いたりする複雑な「業」こそが本質に見えてくる。「業」を巧みに抉るか大げさに蹴るかの違いはあるにしても。自分にとっては「業」は偏在するものですべてが同じ穴の狢なんだけど、片側しか手を出さない人間にとっては、それを根源が同じものと考えることはほぼ不可能で、「ジャンルごとに異なるもの」という認識なんだろうし、だからこそ各ジャンル間に摩擦がある。そこに現れる「業」もまた面白いのかもしれない。
……ますます物言いがトレーズみたいになってきた気もするけどな。
でもそれを否定したら何も残らないし、メジャーもマイナーも「業」のような何かというところから見る視角は必要だと思う。けれど肯定するとして肯定した先に何が出てくるのか、結局のところオタ自爆テロにしかならないんじゃないかなんて考えながら、新年度に向かって何もできない進まない。はぁ。
*1:日本でいうところの光源氏計画のことをこういうらしい。(川端有子『少女小説から世界が見える』より)