誰にとってのハッピーエンドなんだろう。

「ハッピーエンドで救われる人」と「アンハッピーエンドを直視できる人」
http://d.hatena.ne.jp/a-park/20080307/p1

 キャラクターの生、幻想の共同体の束縛、快楽コストとしての購入・観覧費用……うーむ。最後のやつ考えるとどうも「モンスター・オーディエンス」というフレーズが脳裏をよぎる。てかあの結末は予測可能性どころか高度の蓋然性レベルの話だったような気がするんだがw。
 私は『勇者特急マイトガイン』で人生踏み外したオタなので、「完全に共同幻想追認のために作られたヒーローキャラクター」と割り切った上で確信犯的に為される「ハッピーエンド」の洗礼を受けている。そのわずかあとに『魔法騎士レイアース』における「幻想維持のために自分の想いを犠牲にせざるを得ない『姫君』という役割による世界への反逆」を見た。その後、共同幻想とそれに沿ったハッピーエンドを求める編集者・消費者によって行き詰まった少女小説へのアンチテーゼとして『影の王国』に遭遇した。
 だからなんとなく思うことはあるんだけど上手くまとまらない。とりあえずネタ箱行き(ぉぃ 

 というか、100%ヒロインが消費者の思うような人間でハッピーエンドになることが最高だというならば、消費者が自分で妄想してSS書いた方が映画館行ったりエロゲ買ったりするより安上がりじゃないかと思うんだよね。

たぶん起点は三次元
   ↓
三次元に疲れて二次元へ
   ↓
二次元にどっぷり浸かって戻れなくなる
   ↓
二次元の王道に飽き始める
   ↓
嗜好が極端になる
   ↓
市場の製品に満足できなくなる
   ↓
妄想領域を展開し始める 
   ↓      (←今ここ)
(越えられない壁)
   ↓
同人で作り始める
   ↓
(次元断層)


http://d.hatena.ne.jp/Kadzuki/20060129#p1

 「ハッピーエンドしか受け付けたくない」というのは「嗜好が極端になる」〜「市場の製品に満足できなくなる」の領域にいるってことだと思う。マイノリティだという自覚がある修羅・邪悪ヒロインスキーはどこからも支援が来ないことをわかっている結果SSスレがにぎわったが、ハッピーエンド原理主義にとってはなまじ支援があるゆえに、たまに希望品目が合わないと問題が発生するのかなと。もう前に進むしかないと思うんだけどなあw。