ヒロインは敵が大きければ大きいほど、俺が燃えるw

 ここでいう敵は友情や泥棒猫や小姑に限らず素直になれない難儀な性格とか身分とか種族とか家とか続柄とか過去(性的経験含む)とか含む最広義で。もちろん二次元ラブコメの話w。
 なんだかんだ言って俺ってそういう「敵との戦い」に向かうヒロインが好きなんだなあと思っただけの話なんだけどな。もちろん戦局は絶望的であればあるほど燃えるw。
 で、この敵との闘争に正攻法で挑むか徹底的な無制限攻撃に走るかそれとも撤退するか無視するか、いずれの選択をするかは副次的なんだなとも。もちろんヤンデレキモウト、修羅場ヒロインは大好きだけどw。エロゲオタやってるけどやっぱり根底はミリタリー色なんだってこと。
 丸戸ヒロインの「撤退指揮官の苦渋の決断と未練」は良くできてると思うんだ。ダメ恋の麻美なんてどう見ても末期戦の司令官。里伽子とか香奈子とかももうね。


 ……おかしいなあ、「リュミスベルンかわいいよリュミスベルン」からなぜこんな話に。最広義の敵という括りならヒロイン全部が該当しそうなものだけどどうも要求水準が高すぎて困る。


 まあそもそも架空のヒロイン自体が戦闘的、軍事的だというのは俺の持論でもあるんだけどなw。
 英米文学でいうところの「大人からのモラトリアムor抵抗」みたいな「狭義の少女小説」は必然的に闘争そのもので、「男に任せておいたらこの戦局どうにもならん」というか「私ならこう指揮を執る」といった視線があるように見えて仕方ない。労働環境改善を目指すペリーヌはその代表格だろう。それは、現在の人間が後知恵で「俺ならこうする」と展開する火葬戦記と同じ匂いだ*1。で、濃度の差こそあれ基本的には同じじゃないかなと。シンデレラコンプレックス全開のやつだって、究極的には「あんたのやりたいようにさせていたら満足できないから私の言うとおりになれ」というだけの話だし。
 あとは妄想のさじ加減。荒巻か檜山か林か谷か、みたいな。でも、全土に艦砲射撃&焦土作戦で「我々はここまでやる必要があったのだろうか」みたいな、Ifにしたら結果として余計泥沼、破滅を先延ばししただけ、な結末は少女小説にはあんまりない。「私のやりたいようにやる」が全部いい方向に傾くか、「それやっちゃった可哀相な私」を総掛かりで擁護する方向に話が流れるから。
 ……いかん、そんなこと考えてたら龍魔終盤のシェイラが深読みすると恐ろしいものに見えてきた。マイトガインという悪魔の洗礼受けてるせいでどうもメタに見る癖がついてしまってる。どうもいかん。

*1:三浦『女王陛下の薔薇』のインド観は荒巻『紺碧の艦隊』における南洋・満州経営と同じ匂いがする。