「大きな物語の喪失」よりタチが悪い。

 大塚にせよ東にせよ、安田講堂だのソ連だの持ち出して革命幻想なんて「大きな物語」を持ち上げてるけど、俺にとっては今の「努力幻想の崩壊」の方がシャレになってないと思うわけで。


 ぶっちゃけた話、革命幻想崩壊したら結局のところ転向で済んでたわけよ。「二十歳済んでサヨクやってるやつは智恵が足りない」なんてチャーチルが言ってるけど、若い頃はバカ遣ってましたが今は社畜です、ってな感じで。
 ところが努力神話崩壊したらどうしろってんだ、って話。真面目にやってきたのに容量いいやつ顔のいいやつだけが得をするなんて状況じゃ、その先にあるのは価値の転向じゃなくて虚無だろ。先天的な物にしろ後天的な物にしろ、そこに虚無を抱えてすべての価値を理解できなくなったら立て直しは効かないわな。水準以上に有能なヤツがそういう虚無抱えるとどうなるかなんてのはヨーロッパ史の方見ればイヤって程わかるけど、実のところそういうやつに共感する地盤って現在急速にできてるんじゃないかなあと。


 まあ大層な話してるけどさ、要するに、言峰綺礼とか、アルフレッド・アロースミスとか、ここ少しの間に妙にそういう悪役増えた気がするんだよな。目的自体がまったく見えなかったり、その目的が何をもたらすかには割と無頓着だったり。
 たぶん前段階として、シンジとかツヴァイとか浩之とか、ヒロインの虚無を埋める主人公がいたってのもあると思うんだけど、よりにもよって主人公の熱さよりも虚無の方に引きずり込まれた消費者って俺を含めて少なくないだろ。まあ俺の思いこみだがw。



 あとそれとは全く関係ないけど「こんな可愛い子が女の子のはずがない」というフレーズになぜか最近注目中。なんというか「三次元(・∀・)カエレ!」以上に残酷な全否定に見えるのは俺だけかw。