致死傷

 危険運転致死傷罪ってのは、ザル法だってことは既に言われていることだけれども、ザル法だからこそ逆に簡単に認定すること自体に半端じゃない決断力がいる条文だってことを認識した方がいい。数字上立証できないことに対して、危険すぎる条文の適用を躊躇った判事の心情はわからないでもない。
 あの条文は、刑法界隈では、できた当初から広範で恣意的な運用のできる危険な条文として指摘されていた。要件が極めて主観的である上に、過失要件がなく、業過致傷容疑に対して「過失を認めないと危険運転致傷で立件する」という脅しが使われることが危惧された。使い方によっちゃ「警官振り払って公務執行妨害」以上に危ない。「車にまとわりつく→エンジン音に大げさに転ぶクソポリ→逮捕」コンボがあっさり使える。感情論で振り回すのは簡単だがそれ以上に危険な条文なわけ。そんな経緯と、刑法の謙抑性もあって「明らかに事故る、高度の蓋然性」が要求されるという運用が為されてきた。で、実際のところ「仁D厨の中学生が無免で暴走、カーブでブレーキも踏まず死亡事故、『カーブはドリフトで抜ける、ブレーキを踏んだら負けると思った』」てな極端事例くらいにしか運用されない骨董条文になってきたわけだ。まあ腰引けてるのはたしかだが。
 俺だって感情的には、親どもにまったく同情できねえ。なんで止まってたとかマスゴミ利用とか疑問も反発も、そして嫌悪感も感じる。しかし、それと、条文自体のヤバさと、証拠主義ってやつの関係はまた別の話。まあどうせ控訴するだろうし、最判待ちかね。




 二時間ほど空いたので改めて本業原稿振り返ったらこの半月ちょっとの悪意が全部原稿に跳ね返ってた。だめだこりゃ。