陰謀論って楽しいよね。

別のところで『やんデレ』について

ヤンデレムーヴメントの原点が少女漫画的「地味一途娘勝利」というイデオロギーの敗北、ひいては実直者の使い捨て・チャラ男派手子勝利という現実的事実への反抗から立ち上がってくるものである以上、「一途なヒロインの孤軍奮闘>全方位攻撃」過程がきっちり書かれようのない構成で、この主人公ではあまりに役者不足。

なんてこと書いてたが、
こいつを下敷きに「格差とヤンデレ」とかアジくさいのを勢いで書いたら楽しそうだなあとか思った。

http://d.hatena.ne.jp/Kadzuki/20070902#p1

で、現実において完璧に敗北したイデオロギーであるところのヤンデレは、最終的に「こんな残酷な世界はいやあああああっ!」と世界をぶっ壊した上で作りかえる(ジェノサイド(暴力革命、武力侵攻))か、「全部私がしてあげますから」と完全に綴じた世界を構築して閉じこもる(監禁・調教(戒厳令、独裁恐怖政治))か、「お兄ちゃんどいてそいつ殺せない!」と自分の都合のいいことしか見なくなる(電波(お花畑))かってことなんだろうな。


 なんにしてもジャンル問わずラブロマンスってのはルサンチマンとノスタルジーからは切っても切れないと思う。

http://d.hatena.ne.jp/Kadzuki/20070802#p3

「ボルテスV」の成功にまもなく政治の影が射しはじめます。70年代後半は、マルコス政権に対する国民の不満が高まりはじめた時でした。戒厳令下の生活はもうたくさんだと思いはじめていたのです。一方政府も国民に対する威信対策を必要としていたのです。うってつけの標的として選ばれたのが「ボルテスV」だったのです。1979年8月マルコス自身が放送禁止を宣言します!

(中略)

TVアニメというものは、笑いながら楽しく見るものだと思っています。しかし、ボルテスVを見るうちの子供達はいやに深刻そうで沈み込んだ顔つきでした。また道徳的な問題もありました。その第一は「大人に対する子供の勝利を描いていた」ということです。それも醜い大人に対する勝利ばかりだったのです。ボルテスVでは大人と子供が熾烈な戦いをし、最後には必ず大人が負けるのです。それを見た子供達は「自分たちも大人に勝てる」と思うでしょう。それがあのアニメの1番の問題点だったと思います。

http://www.nx.sakura.ne.jp/~haituu/nhktv.htm


 「被搾取者である女性、あるいは子どもが、追い詰められた末に自力救済行動を取り、それが成功する」という物語が、誰かにとって都合が悪いものだとしたら?




 こう考え始めると、たとえアニメといえども創作物に過剰な自主規制をかけることが危険だという認識に至る俺。そろそろ誰かが憲法問題にする必要があると俺は思うね。


 そもそも「不快に思う」の主体は誰ですか?
 「良心的な方々」ですか。ヤクザや水面下で支配を行う連中や虐待親の暴力・搾取に耐えろと言う人のどこが良心的ですかw。
 「子どもの成長を考える」方々ですか。だったら深夜まで子どもを起こしておく方がおかしいでしょうw。
 「女子高生が父親を殺したのが衝撃的」だと思っている方々ですか。おいおい、こと若い女性は何があろうと殺人起こしちゃいけませんってかw。 


 主語のはっきりしない「不快」の主張なんていちいち相手にしてたらキリ無いぜ。つか、主語がないシロモノなんて捏造だとしても不思議じゃない。それこそ前述の「自力救済」が「革命に繋がる」という理由での政府による自主規制要請、なんてヨタ話でもな。
 それともなんですか、宮沢のドツボを教科書だけではなくアニメにまで持ち込む気ですか。アメリカ映画がイスラエルに都合の悪い「不快な」映画を作れないのと同じように、日本でも中共や朝鮮に都合の悪い「不快な」作品は今後作られなくなりますか。まあ福田だしやりかねないな。