ああ、そういえば

いつのまにか揃いきってました。

 「高山カツヒコ買い」に加えて、「書き下ろし短篇のために初回版」という間違った買い方という気もしますが。ピンポイントで噴き出す感情とか見てると「さすが空鍋神」という間違った納得をしてしまうしw。

 たぶんナルキッソス(あ、ナルキ2のCDドラマ積んでるorz)の時にも書いた*1けど、どうにもテキストでは越えられない壁ってのがあるんだと思わずにはいられない。口調とかそういうのに限らず。音だけで言葉にはならない声はその代表格で、文字なら結構幅をとるものを、声はいとも簡単に表現してしまう。だからこそラジオドラマが小説や文学作品の導入として機能したり、NHK−FMの青春アドベンチャーがとんでもない長寿を誇ってたりするのかもしれない。
 あと、視点制限の話かな。小説において視点と読者知識を制限して、とうのはドストエフスキー関係の話で出てくることだけど。たとえば「台所からは鍋の中でおたまが回る音が聞こえてくる」だと怖くないが「台所からは鍋の底とおたまがこすれ合う金属音が聞こえてくる」だとバレバレ。
 伝わるか伝わらないか、書いたらダメだけど書かないとダメ、というギリギリの世界が生み出すものはどうやったら文章で表現できるんだろうなあ。