愚痴。あるいはジャミラ。

 「読者が集団で主人公バラして食う」論のあたりからふくれあがった違和感に、「死せる人見の巫女」なんてコバルトジャーゴンではない表現を思いついてしまった。


 「主要キャラって惑星探査機じゃね?」


 基本的に使い捨てなんじゃないかなーという想像が脳をよぎる。
 「データ」(五感データあるいは内面描写)を送り続けてくる探査機を科学者がよってたかって貪って、距離やら木星突入やらで最後のデータ送信を終えて機能を止めたら、「まだ飛び続けています」「心の中に生きている」みたいな。
 ところがたまーにとんでもなく良くできた探査計画と、人が乗っても大丈夫な探査機があって、たまーに我慢できなくなった科学者が勝手に乗りこんでいってしまう。そんでもって有益なデータ持って帰ってくるならいいんだが、やっぱりたまーにバルタンに取り憑かれたりジャミラになって帰ってくる。(←結局ウルトラジャーゴン


 ここまで思いついて、俺自身がキャラというものを否定して矛盾を抱えてしまったことに気付く。んじゃ彼らの自我ってなに、と。読者の座り心地を提供するシートかなんかですか。それでも開き直ってそう言い切ろうかなという誘惑はある。 けれど突き放してはいけないものを突き放してしまったような気がする、が、突き放さないと得られないものの方が多いように思っているこの半年。