ノスタルジーと、鏡の中の五寸釘

オープン講座後、ナデシコマイトガインの含む「悪意」について雑談しつつ悪友とぶらぶらしてきた。年を取って、時間をおいてあらためて「わかる」のもアニメや児童文学の「怖さ」なのだろう。

KASUMI the serious joker

KASUMI the serious joker

中古屋で見かけて、うわ懐かしい、とばかりに買ってきた。
「MASK」「Solid desire」に加えて「BRAVE SOULS」(林原「Give a reason」の英語版)。まだアニソンがメジャーになってなかったあの頃……辛かったような、しかし今と比べると密かな楽しみとして幸せだったような。


”文学少女”と飢え渇く幽霊 (ファミ通文庫)

”文学少女”と飢え渇く幽霊 (ファミ通文庫)

痛い。痛い。痛い。
鏡を見ているような言動、記憶の中に心当たりのある思考。そしてそれらに向かう「今の」考えという刃。
でも本当に痛いのは「心当たり」と「今の」思考が、正面から同じ武器で相対し、しかし圧倒的な力の差で「心当たり」を粉砕した時ではないだろうか。
「多彩な技」で制することができていれば、このような痛みは発生しないのかもしれない。
ただ圧倒的な力で、「心当たり」のある自分、過去の自分を「ならぬ!」ではなく「足らぬ!」*1と一撃の下に沈めた時、読者は改めて"文学少女"と対峙することになる。
問題があるとすれば、その対峙に際して"文学少女"がどこまでも"文学少女"であって、やや気迫に欠けるという感想を抱くことだろうか。とはいえ、ここは「今後の"語り手"」の担当とされているようにも思われる。


でもまあそんなことはどうでもよろしい。
嫉妬・修羅場属性、ヤンデレ属性には力一杯オススメすることができる。卓球場やうさぎのせいでスルーしていたが、作者の評価を修正せねばなるまい。

*1:ブライトライツ・ホーリーランド』より。ただしこの場合の両者の差異は元ネタとは逆の意図である。