富野は偉大だ。

俺が二次元・萌え系においてぶっちぎりにすごいと思ってるクリエイターは、庵野とか宮崎とかではなく、なによりも手塚と富野。
手塚についてはしばしばピノコについて触れているとおり。
富野についてはやはり人の思いに関わる業の取り扱い。カテジナさんどころじゃないよ富野の功績は。

ちょっと飛ぶけど、ヤンデレってのは究極的には「マサイの戦士」や『ビルマの竪琴』あたりに登場する「グルカ兵」的なオリエンタリズム類似の存在といえる。まあ俺はサイード読んでないからてけとーだけどな。
このblogの初期にも、「やじうまNowReading」さんのエントリを受けて書いてるはずだ。「恋愛は格下意識」と。それと同じこと。ラブロマンスカルチャーはオリエンタリズムと深い関係にある。

「強くまっすぐな想い」は、紙一重でスポーツ系マスコミ曰くの「高い身体能力」……プリミティブさを覆い隠す肯定的表現になる。山●学院大学の留学生や、サッカー選手みたいに。
前に「兵役欠格者としての萌えhttp://d.hatena.ne.jp/Kadzuki/20061125#p1」で書いたことは、一歩踏み込むとずいぶんとひどい話になるってことだ。


9時台ドラマとかでもいるでしょ、諸々のハンデ背負ってて無茶苦茶一途なのが。で、イケメソに助けられて。でも最後には死んだりしてさ、こういうやつ。「マジョリティ」とやらには上記のような批判が向けられないのね。やってること一緒なのに。おまえらだって同じ穴の狢だよw。


結局のところは、光の当たるところには出にくい属性を持つがゆえにその力を必要以上に奮い続ける現地兵士、あるいは好意的に解釈してもはみ出し部隊や問題兵士集団や低い家柄。どんなに奮闘しても正当な評価が得られない。得られるのはその勇猛果敢さへの畏れと、中央の腐敗から遠く正直すぎる活動への評価に過ぎなくて、リアルでは本質が描かれることもないまま退場していく。でも小説では題材になる。
たとえば楓だって反逆者・罪人系のキャラでしょ。「父の汚名を雪ぐため最前線で戦い続ける」のかその手の騎士や戦士と一緒だぜあれは。


で、こういう思考経路をたどると、『聖戦士ダンバイン』ってものすごいヤンデレアニメだぜ?、ということになる。最初の「富野すげえ」はここに着地する。
あれほど各人物のコンプレックス大爆発のアニメってのはそうはない。前述の罪人系だとガラリア、泥棒猫にかっさらわれ系だとバーン(病んだら黒騎士)。のっぴきならないとこに突っ込んでしまってどうにもならないのがドレイク*1
バイストンウェル側だけかと思えば聖戦士側はもっと政治的に露骨。まあなんていうかね、トッド以外全部当時の「まいのりてぃ」ってやつでしょ。トッドだってコンプレックス爆発的言動は数多いし。まあ発露する前にトカマク死んだけど。トッドに次いで露骨なのがジェリルとフェイ。いかんせん目立たないけどw。


というわけで俺的には各ヒロイン片っ端から放り込んで、パイロットだけ「バトル●ァンタジア」な
ダンバインゲーやりてえw。


もちろん、こういう政治臭ぷんぷんの批判にはこう返すのが腐の嗜みってことで。
「***だから好きな(萌える)んじゃない、たまたま好きになった(萌えた)のが***だっただけだ!」
どうみてもどこかで聞いたような定型句です本当に(略w

*1:オーラバトラー戦記』から読まないと彼の事情は理解しにくいけどな……。アのオーラマシンだけがしつこくフレイボム積んでるのはそのせいだし。