なまえをよんで

過去ログhttp://d.hatena.ne.jp/Kadzuki/20061105#p1関連。
エロシーンにおける選択肢消失の話に追加というか思いつき。
主人公の名前が単なる記号から、感情が乗る「音声」として呼ばれたとき……もっと露骨に言えば「ヒロインが他人の名前を呼んで喘いだとき」、プレイヤーから主人公は完全に乖離して、プレイヤーはゲーム内において本人不在になってしまったのかなとふと思った。既に主人公はプレイヤーじゃないんじゃないのか? その意味では腐女子と同じ「死せる人見の巫女」http://d.hatena.ne.jp/Kadzuki/20060610#p1であって、そんなに変わった事情は抱えていないんじゃないかなとも。

DOS末期、音声不存在のエロゲでも主人公固定化ってのはあったと思うんだけど、なぜこの10年もの間、多くの論じ手が「男は『主人公=プレイヤー』、女は『本人不在』」の構図から脱却できず、あまつさえ「都合のいい肯定空間」という目から離れることができなかったのか。主人公名固定化が始まった頃は、エロがオマケになってる「シナリオ重視」の時期だったからそれほど目立たなかったのかなあ……とかいろいろ考える。


……白妃とパタナをどう片づけるかなあ……。