いわゆる「努力厨」と「平和ボケ」

平和ボケといってもリアルの日本人の話じゃなく、リピーターには毎度おなじみの「恋愛=戦争」の話である。真面目度は5割くらい。

「自ら武器を取って『戦争』に向かう」、そんなところで孤軍奮闘玉砕するには戦闘狂でもない限り本人なりのやむにやまれぬ理由があるわけで、ミリカルやオタを弾圧してきたヒステリックな全体主義連中とは一線を画することを主張する以上はこの「やむにやまれぬ理由」を考慮する必要がある。で、そんな話。

で、この「理由」は結局のところ、リアルの戦争同様本人や家族の生存に他ならなかった。もちろん戦闘狂除く。ちょっと昔、社会的に性別分業がやたらハッキリさせられていた時代まではそうじゃなかったかと俺は考えている。
俺等の前かその前の世代は、男性はそもそも家庭内ですら家事から「隔離」されていたし家事に属する職業からも(跡継ぎでもない限り)排除されていた一方で、女性は「稽古事」はさせられても(主に親のせいで)「教育」を受けられなかったのが大半の時代である。そんな状況ではなんとかして「戦場」で相手を捕まえるしかない。でなけりゃ生きていけない。「家」のことが回らない。でもって上の世代は強引に「戦場」に放り出すか、あるいは「限定的な戦場」を構築することになる。「戦場」ではもちろん、「無事生還する」には見た目は言うまでもなくスキルが必要になる。「口で糞垂れる前と後にサーといえ!!!」「だが断る!」

ところが社会は一変した。「戦争」に行かなくても生活はできるようになった。フェミニストやフェミファシスト諸氏の運動の成果で、男性は最低限「調理実習」レベルの料理ならできるようになったし、不健康の象徴カップラーメンに依存せずとも比較的バランスのとれたコンビニ弁当が普及した。女性は自分の生活をきっちり支えるレベルの職業に就けるのに必要な教育が受けられるようになった。家制度も世代交代と核家族化と一人っ子の増加とともに規制緩和された。
「戦争」にいかなくても生きて行けるし「家」を守るのも強制されない社会になった。もちろん戦場で必要な「迷彩塗装」も「戦闘服」も、「戦争」へいくための集団帰属意識も「体制」や「○○主義」への忠誠もサバイバル技術も必要ない!

ああ偉大なるかな平和の時代! いあ、いあ、こんびに! いあ、いあ、しんやえいぎょうすーぱー! いあ!
「恋愛=戦争」における「平和ボケ」万歳。

リアルのお花畑は危機において他の人を巻き込むが、二次元のお花畑は……………それはそれで問題あるな(w。