戦後独特の優生思想。

 安楽死とか尊厳死とか。
 なんとなく戦後独特の悪影響を見る。
 左派は死生観や優生思想についてなにかと戦前の残滓だという見方をするが、私はむしろこれは「戦後」日本、それも左派の土壌が生み出した優生思想だと考えている。


 戦後教育は戦時の生命について、やたらと「前途ある若者」を誇張してきた。ボンボン少尉を祭り上げその下で無為に死んだ兵士をスルーしてるような人々を筆頭に、若者の生命の値段を必要以上に釣り上げてきた。「妻子のあるヤツ、親のいるヤツは下がれ!」のミリタリーカルチャー寄りフィクションなんかとは順位が異なるのである。妻子を遺して「思えばくだらん人生だった」の床屋よりも高い値段が付けられているのである。一方でそれは老人、病人の「命の値段」を相対的に下げてしまったのではないか*1
 加えて、そこに悪さをする存在として、命の値段を「一撃分」に統一してドカンと払い、不特定多数の「誰かのために役立てる」ものが介入してくる。左派が大嫌いなはずの「特攻」である。相対的に不当に下げられた「値段」だというのに、なぜ特攻的に「誰かのために」支払わねばならないのか。安楽死尊厳死の過激派が言っているのは、なんかねじれてる。

 どうも私はここに、(体制)批判と(個人)理解の、最悪のハイブリッドがあるように思う。もう誰かが言ってるだろうし、某先生から怒られそうなこと書いてるのもわかってるけど。でもなんか気持ち悪い。


 でもVガン最終回の老人達はたしかにカッコイイんだよな。こういうこと考える以上気持ち悪さを感じないとダメなはずなんだが。

*1:若ければ若いほど高いなら中絶禁止を訴えなければならないはずでもある罠。