主体性を放棄した限界は……。

 書く書くと言いつつ全然書いてなかったこと。
 妙に忙しいので断片だけ。


・エロシーンから選択肢が消えてしまったこと。
 ……「手順」の消失。「相手」の「反応」に邪悪に笑う、あるいは悶える(?)という行為の消失(勝沼紳一と相沢真一郎)。「同じ反応しか無い」という定型化(同じ選択肢、フラグごとに複数用意される同一行為への反応テキストとその行き止まり)、ノベルへの傾斜と、「面倒くささ」への態度。 


・「充足」に対する受け身と、「限度」の非自覚。
 ……ゲーム側が定めてしまう「上限」(選択肢を規定回数選んでテキストが固定化してもまだ選ぶことはあるのか?)、届かなくてもプレイヤーが引く場合(PIL時代の調教ゲーなど)と、プレイヤーを置き去りに上限が低い場合(ハクオロ)。


○選択肢を「停滞」「障害」と認識するようになったこと(PC-98末期からWindows初期?
○ボイスによる名称の制約と主人公個性の確立に伴う、ゲーム主体からの離脱→AV化
○3Dゲームは逆行する存在となるか?