三次元に用なんか無い。

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/834127.html

 あのゲームは待ち伏せポイント掴むまではひたすら返り討ちに遭うだけだった気がするw。


 萌えブームなんて欠片も存在しない93年頃から二次元にエクソダスしてしまった人間にとって、秋葉原日本橋をうろうろしてる「メイドモドキ」は、正直理解しがたい。所詮三次元という認識でもあるが、幻想都市で幻想ぶちこわしてどうするのさという考えしか出てこない。
 三次元が半端な服着て着飾ったところで、視覚において人工物や二次元に勝てるとは俺は思っていない*1。ましてや、合理性第一主義のパーツや機械、あるいは最近では幻想で満たされた都市においては異物でしかない。タカさんの方がよほど幻想都市のキャストとしてふさわしい。
 今の秋葉原日本橋は、たとえるならば偽東京ネズミ人民共和国のなかで全身直塗り耳カチューシャ付きマッチョメンが「やあよくきたね ボクが(検閲削除)だよ アハッ!」と親指を立てて白い歯を見せるがごとき状況である。


 ……。
 ……いかん想像してしまった。(検閲削除)はそれはそれで面白そうだw。

*1:もちろん異論はあるだろうが、風俗ではない以上触覚を要素に含むことはありえないし、性的・下世話な評価を排除していくと「美において仏像に勝てる人間はいねえ!」という無茶苦茶極端なところに行き着いてしまう。視覚を人工物に、内面を天然物にという合成を先駆的にやりとげたという点で、私は手塚治虫を属性と内面を組み合わせた「現在に繋がる」形での萌えの嚆矢として認識する。