90年代初頭、オタが許容できる架空男は絶滅した。

 仕立て屋小説読んだせいで頭が乙女ちっくになってますよ。


 外道だがカネや顔で修正がかかってヒロインを惹きつけるようなゲスではなく。
 二次元だから顔が上位なのは仕方ないにしても不器用でも誠実で。
 けれどそれ故にあっちこっち地雷踏んでがんじがらめになりつつ。
 それでも想い続けてるヒロインのところに帰ってくる。


 そんな少女漫画の相手役は、90年代初頭に絶滅したんじゃなかろうか。

 辛うじて残っていたのが高屋敷昴くらいか。今じゃDQN紙一重の男が落差でヒロインだまくらかして食ってるような漫画ばかりだし。「ああなんて可哀相な日野くん」なんて例もあるが、まだあのころの相手役男は許容できたんだよな。ある種の「男は中身」的なイデオロギーにそれなりに合致しててさ。顔だけで渡るような、DQN野郎に対する反発を買うほどの相手役はそれほどいなかった。
 ところがそんな話もどこから狂いだしたのやら。
 で、振り返ってみるとやっぱそこにも矢沢あいが絡んでるように見える。まあこの辺は俺の主観なんでどっかに詳しい人がいるだろ。
 『姫ちゃんのリボン』と『くじら日和』でりぼん読んでた俺からすると、あの当時(中2)、「天ない」は規範的にも恋愛的にもひでえ不良漫画にしか見えなくて、どうもダメだった。で、恋愛規範的にダメだったがなぜか続きが気になって読んでたのが『ママレード・ボーイ』。遊の外道っぷりはともかく鈴木亜梨美に女の汚さを見た、というかね、「ああなんて可哀相な銀太くん」。俺は茗子派だったけど。
 そんなころから、主に少コミを中心にDQN&ユルユルになってしまって、相手役男がまったく許容できなくなってしまった*1
 少女漫画における「男にも許容される男」の「死」。もちろん何を読んでいたかによってその位置の策定は変わってくると思うけど、それは現象としてやはり90年代にあったのだろうと私は思う。


 だから、というわけでもないが、それまで比較的鬼畜系に振ってたエロゲ界隈が少女漫画と接続して作風をシナリオに振るときには、90年代初頭以前に回帰するしかなかったんじゃないかと思う。今のユーザーが倫理的規範的に「恋愛の主体として」絶対に受け入れないような男がメインの現在の少女漫画はどうしてもふるい落とされる。そのかわりNTRの悪役としては大活躍する。鬼畜系でも。認めればいいのに、悪意を。
 で、ここまで書いて、とんでもない大穴が開いている。ランスとかキングオブヘタレとか*2


 そういう観点で見れば、サブカルチャー方面を席巻しているのはヲタク的、萌え的な物ではなく、「銀色のハーモニー」くらいまで、長めに見積もっても「90年代初頭まで」の少女漫画的な物じゃないのかな。セカチュウや冬ソナあたりも、その流れに位置するものだし。


 誰か『美少年の現代史』書いてまとめてくれないかなあと思う今日この頃。まあ初期コバルトや初期ティーンズハートは「美中年」続出なんだけどw。富島健夫のコバルトとかロリコンオヤヂ大集合だし。

*1:なんでその反動が『エリア88』と『吸血姫美夕』だったんだろうな私。

*2:まあ孝之ちゃんはマナマナのお仕置きを受けたので罪一等が減じられているのかもしれないw