笑いどころは何処ですか。

「軍隊行くな」…授業真相調査へ
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=76979&servcode=400§code=400&p_no=&comment_gr=article_76979&pn=1

朝日や毎日は彼を応援しなくていいんですか?w


でも仕事はしろよな給料もらってんだから。学習指導要領?に従った授業・指導をすることが「表向きの仕事」なんだから、その立場にいる以上は務めを果たすべきだろう、表向きは。前者「敬礼しない」は服務規程に書かれていなければセーフだが、「いけない」は生徒への干渉が強い・指導色がある分で完全にアウト。実質パワハラじゃん。あくまでも選択自由を保障した形での表現、実もふたもなく言えば生徒の自主性を限界として、それを逸脱しては服務規程以上に教員という存在の倫理にもかかわってしまう*1。その辺のやり方に洗練が必要w。強制を否定するならば逆サイドの強制に組することは絶対に許されないし、また選択を非難することも原則忌むべきことだろう。もちろん自由権規定がまともに機能していないならその限りではないが。
余所のストで授業放棄・自習は論外。


日本において、教員の態度については、熱湯浴とレッテルを貼られている声のうち大部分が職業倫理に対する批判であるということを左派はわかっていない。問題は政治の枠だけではないというのに。
この不景気なご時世、民間であれば即首が飛ぶような我が侭・職場放棄を堂々とやり、しかも開き直る態度が、「労働者」をも敵に回し(この場合、それを煽る左派と、それを可能とするお役所・役人天国の両方への反発)、また強制行為に対する自己正当化がどれだけ反発を招いているのか考えようともしない*2


統率された団体で押しかけて暴行・恫喝する時代は終わった。
団体ではなく個人の集合体、募金運動の成果のような、混沌とした力に目を向けるべきだと思う。都合のいいときだけ「みなさまの善意」*3などという匿名行為そのものの力を利用しておきながら、個人の集合という力を匿名・HNであるが故に無視・非難し続けるのはそろそろ限界ではないかと。

*1:あー、教師という職業について「誇り」のベクトルがアサッテであることを考えなければならないかw。

*2:むしろ逆効果だと思うんだけどなあ。実際考えてみるといい。ほっといても「めんどくさい」と斉唱しない人間は少なくないし、加えて男子だとあの音域は正直厳しいし、でもってそれらが過半数なら余計に声は小さくなるという民族ジョーク的な特徴が顔を出すではないかw。ただでさえ歌えばしょうもないレッテル貼られるのに(その意味では左派の活動は成功しているのか、暴力的に)。起立はすれども実際に声が出ていない、それが実情だと思うが。

*3:「運動」と「カーニヴァル」の境目には「募金箱に100円」的な意見表明の層がある。騒ぎたいから乗るでのはなく、意見はあって、しかし運動するほどの余裕もノウハウもない、という層が。ただし、それがネット等によって「実体化」しただけの話。そこをカーニヴァルに含めて切り捨てると質量を見誤ることになる。逆に運動に含めて過大評価すると「島根の名産買うと極右ネチズン認定」というどっかのマスコミの過剰反応みたいになるw。