世迷い言。

 なんつーかさ、問題定義とかするだけなら別にゲームと物語にし無くったってソレこそエッセイとか新書とかで思想書を書いたほういいと思うのは私の妄想なのかしら。

 (中略)

 他の評価されてる物語だって問題定義はアクセントでしかないでしょうーに。
 物語から問題定義が生まれるのが自然で、問題定義で物語が作れると思うと考えることは本末顛倒(ほんまつてんとう)なの。
 問題定義から生まれる物語はドキュメンタリーだけです(昨今の鍵ゲーをみよ)
 どうして、みんな鍵にウンザリしたかっていうと物語を期待してたのにドキュメンタリーしちゃったからなんよ。

 虚構の人間でドキュメンタリーしたって、その感動は虚構でしかないの。
 ドキュメンタリーの感動を担保してるのは『相手が生身の人間であること』だからなの。

http://blog.goo.ne.jp/kamimagi/e/d227d906f6e5f2a2d6f17940b93e8e28

こちらは自戒というより私的にメモ。
今日のゼミで凹んでるだけのことですけどね。文体矯正ってほんとーに大変。