魂。

手を引いて数年になるのに、熱くなれてしまうあたり、俺ってまだ子ども会に根っこを残してる人間だったんだなあと痛感する。ちょっとした左派冊子の感想なんだけどな。
子ども会ってのは基本的に年齢、クラス、学区を越えた非常にオープンなコミュニケーションゾーンであると同時に社会・集団でのルールを学び、野外活動等の技術と共に「ポジティブで根拠ある」自信を身に付ける場だと俺は考えているわけで、切磋琢磨ならともかく「ただの」内輪の傷の舐めあいに堕するなんて状況は活動趣旨からも忌むべきことだと思っている。それを責任転嫁の正当化や政治に持ち出したところでそれは趣旨のはき違えと運営の実力不足とさえいえるし、オープンな場での社会・集団でのルールを学ばないことがそもそもの元凶だという事実からも目を背けていることに他ならない。でもってその原因が大人による「囲い込み」ではお話にならない。その結果を政治的に利用しよう、運動に引用しようなんてのは、まさしく「子『供』会」という「当事者が不文律的に使わないようにしているポリティカルコレクト」に抵触するような、子どもたちを人質に取っているような感触さえ受けてしまう。本来オープンな場を閉鎖的にすることには何一つメリットはないと考える。
あと、大人(親や身内や活動家)の暗い影が枷として子どもにかかっていることを、旧世代の人間は自覚すべきではないだろうか。もちろんどちら側にも言えることだが。